■戦後保守と戦争体験に対する考え方

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●戦後保守とは何か

 


戦後保守政治を定義すると抽象的で想像の域を出ることはないが以下のような特徴を有していると言える。

 


・自由で開放的な国際協調主義、平和主義を掲げて、国力にあった日米同盟基軸の外交と防衛を重視する政治。

 


・前の世代から次の世代へと良いものを受け継ぎ、残す。財政規律を重視して世代間の公平を大切にする。

 


立憲主義に基づき、手続きと妥協を重視する。野党との政策協議を重ねて国民的合意を目指す。

 


戦後保守はその対局として戦前保守、新保守主義に見られる理念や理論が先走る強権的な国家のあり方に対する強い懸念であり、それはまさに戦争体験に基づいていた。大平、田中初めてとする宏池会、平成研の潮流として戦後政治に強い影響を与えてきた。今、戦後保守政治は大きな帰路に立たされている。

 


●戦後保守の分裂と加藤の乱

 


政治改革へ熱を帯びた90年代初頭に、小沢グループが離党した事で経世会が割れる事態に陥ったが、戦後保守勢力が一直線に下降線を辿ったわけではない。90年代は戦後保守政治の時代だった。自社さ政権では河野洋平加藤紘一宏池会ラインが主導権を握り、95年の党大会での綱領的文書の見直しでは「自主憲法の制定」の党是は事実上棚上げされる事になる。その後の、自由党公明党との連立交渉を進めたのも野中・古賀ラインを中心とする戦後保守勢力であった。つまり、政治改革と冷戦構造の崩壊による90年代の連立政権の時代に自民党が対応できた要因は戦後保守政治の柔軟性と幅の広さにあると言える。そして、小渕内閣の誕生で再び財政出動による利益誘導政治の経世会支配が復活したかに見えた。

 


自自公連立を樹立し、再び財政出動による利益誘導の古い戦後保守政治を目指したのが平成研と宏池会の野中・古賀ラインである。一方で、バブル崩壊後の政治経済情勢に対応した小さな政府を志向しながらも、日本国憲法の精神とコンセンサスを重視する穏健な政治手法を取る「新しい時代の中道保守」を目指したのが加藤紘一だった。宏池会の中でも平成研や公明党との連立に前向きな古賀、堀内らと加藤らは一線を画した。加藤は野党の提出する森内閣への内閣不信任案に同調する動きを見せるも、小選挙区制の元で党の公認権を握る野中幹事長による切り崩しにより失敗。加藤の乱宏池会を2つに割るだけでなく、利益誘導型の古い戦後保守政治と新自由主義的な新しい戦後保守政治の潰し合いという悲劇に終わった。加藤の乱は戦後保守政治を決定的に衰退させ、その後の新自由主義新保守主義の台頭を招いた。

 


小泉改革とその後

 


古い経世会支配の復活は小泉政権の誕生でいとも簡単に崩壊した。経世会の支持基盤である全特、道路公団を破壊して、衆院参院も分断した。

小泉の政治手法は改革勢力と抵抗勢力という善悪二元論的な対立図式を作りあげて無党派層の支持を獲得するポピュリスト的な側面があり、同じ小さな政府を志向する戦後保守政治の加藤とは一線を画す。小泉は新自由主義者だったが、憲法改正靖国参拝には特段こだわらなかった。小泉時代宏池会に続き、平成研の衰退。もっとも顕著なのは脱派閥化の進行と右派理念グループの結集である。90年代に戦後保守の陰に隠れていた、新保守主義が台頭する。

 


最後の戦後保守政治の可能性をかけた福田内閣民主党との大連立に失敗した。これは二大政党制を前提にした小選挙区制のもとでは野党とのコンセンサスを重視した戦後保守政治の限界を示した。

 


●安倍政権とその後

 


民主党政権の誕生により、野党に転落した自民党中川昭一、その後の安倍による創世「日本」を中心とする派閥横断的保守理念グループ(新保守)が主流派を形成する。政権奪還後は前回の反省から安倍は池田と岸のハイブリッド(金融緩和と財政出動によるバラマキとタカ派的な政策の融合)で支持率を保ってきた。94年の政治改革は党執行部に公認権と政治資金で絶対的な権力を持たせた。前回18年の総裁選では安倍政権への逆風の中で異様な総裁選の雰囲気を肌で感じた。政権批判票は石破に流れたが党内では宏池会が安倍支持、平成研は自主投票という有様。これまで自民党内で戦後保守が果たしてきた安全弁の役割が機能していない。これは非常に危険な状況だ。戦後保守の基盤の上にある中曽根にはそもそも吉田路線からの転換は不可能だった。小泉政権の時もまだ、党内には戦争の恐ろしさを知る野中・古賀ラインによる抵抗勢力が存在した。山崎拓さんもいた。では、今の安倍自民党を誰が諌めるのか。岸田政権が誕生したところで中曽根政権の逆をやらされるだけだ。後藤田さんの代わりに甘利明あたりがお目付け役に回るのか。宏池会憲法改正の片棒を担がされるのか。戦後保守の立ち位置は非常に厳しい。

 


憲法9条と戦後保守

 


1990年代を境に日本を取り巻く安全保障環境は大きく揺らぎ、憲法改正の議論が勢いを増している。池田が横に置いた安全保障の問題、9条を守るという路線は、戦後保守にも根強くある。宏池会政策集団の性格を薄めてきたとはいえ、9条を守ることが今も最大最大公約数になっている。それは加藤紘一の歩んだ新しい戦後保守にも共通する。山崎拓さんは加藤紘一の葬儀の弔辞の中で加藤の憲法9条に対する考え方に言及した。山崎の「憲法9条の改正に本当に反対か?」との問いに加藤は「そうだよ。憲法9条が日本の平和を守っているんだよ」と断言したと言う。葬儀委員長の安倍晋三の前で山崎はこの弔辞を読んだ。宏池会は古い戦後保守と新しい戦後保守に分裂したとはいえ、9条を守る事では共通認識を持っていた。だだし、以上のような護憲路線の戦前保守は戦争を経験した世代が政界から引退していく事で担い手が減り弱くなっている。戦前戦中世代は05年には全議員の40%、自民党では50%が15年には国会議員、自民党議員ともに10%へと急減した。戦争経験をもつ世代が国会から去っていく事で戦後保守の理念がその内部から融解しつつある。

 


●戦争体験の果たした役割

 


宏池会の次世代リーダーの林芳正は「戦争を体験した世代は、本能的に戦争はダメだ、二度と戦争の体験はさせたくないというところがある。世代交代が進むと、何故ダメなのかを理屈で説明しないといけなくなる。集団的自衛権一つとってもらどうしてダメ、ということだけでは説得力がなくなってくる」と語る。従軍経験のある後藤田、野中、父親をレイテで無くした古賀の退場と共にこれまで、安全弁の役割を果たしてきた戦後保守の役割が機能しなくなっている。

 

 

 

 


戦後75年という時の流れで「戦争体験」の喪失という戦後価値体系を支えてきた大きな日本人の記憶が失われかけている。「戦争体験」という日本人の苦い記憶は平和主義だけでなく民主主義の運用や人権問題に至っても実に繊細に、慎重な行為を要求してきた。この「戦争体験」における戦後保守政治家の慎重なまでの政治的感覚が現在の自民党の保守政治家には欠けていると思えてならない。戦後日本社会は、いわば特権階級から庶民までの日本人全体に共有されていた「戦争体験」という日本人の精神意識を日本人的思考様式として成立させることにある程度成功したと言える。日本の学校教育における平和教育の貢献は計り知れないし、丸山真男始め、戦後知識人の果たした役割も大きい。野中広務は次のように嘆息する。「戦争体験を世代継承できなかったと反省している。自民党に謙虚さがなくなってしまった」と。戦後日本政治の安定を支えたのものは冷戦構造だけでは決してなく、戦後保守が果たした安全弁の役割が大きい。それを具現化してきた戦後保守の政治運用能力は冷戦構造が崩壊した後の90年代の政治状況を見る限り希望は持てると考える。

 


次の10年、2020年代のうちに戦争体験者はほぼ絶滅し、日本人の「戦争体験」に裏打ちされた思考様式は弱まっていく。これをどのように継承し、日本人の「古層」の上に構造化していくかが問われているのではないかと思う。

 

 

 

■「はだしのゲン」は終わらない

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今、自分の少年期を振り返ると多摩地域特有の学校環境で、担任の先生も司書の先生も熱心に平和教育をやってくれた。小学生の時、休み時間に図書室に通って読んだ「はだしのゲン」の衝撃は忘れられない。あの10巻の漫画の中には、原爆の惨状だけでなく、「国家」という概念(警察、そして学校も)や全体主義の恐ろしさも読者に訴えかけている。


また、「はだしのゲン」には幻の続編がある。作者の中沢さんは続編のテーマとして、被爆者への差別が原爆の被害をかき消していくという悲劇を描こうとした。

はだしのゲン」には核の問題、差別の構造、国家と全体主義など現代社会の問題を考える視点が詰まっている。戦争体験を学ぶ事で、戦時下という異常事態を通して国家や民族、指導者と民衆、正義などの概念を考える事ができるのではないか。「戦争を学ぶ」だけでなく「戦争を利用して学ぶ」事ができるのできると考える。戦争という異常事態からコロナ渦の非常事態に対する教訓を学び、現代の排外主義的ポピュリズム全体主義に対する付き合い方を引き出す事ができるのではないか。戦争、被爆体験を陳腐化させるのではなくて、「戦争を学ぶ」から「戦争を使って学ぶ」学習に転換させる事で平和教育の継承ができると考える。

 


平和教育で戦争を扱う

 


冷戦終結後も戦争と原爆がいろんな姿に形を変えて世の中を闊歩してる。未だにヒロシマナガサキという言葉は伝わっても核の恐ろしさは伝わっていない。反戦反核平和教育マンネリズムかもしれないがこれは永遠のテーマだ。肥大化した広義の平和教育に重点を置くと本当に大切な部分がすっぽり抜け落ちてしまうのではないかという危機感がある。戦争という国家的国際的レベルの問題を、日常における平和の問題に全て代用する事はそもそも無理がある。大切なのは戦争という大きな問題と日常の問題をどのように切り結んでいくかを考えていきたい。

 


はだしのゲンで学んだ事

 


「国家」とは何か。マックス・ウェーバーは著者『職業としての政治』で「国家」を唯一合法的に暴力を行使する事ができる暴力装置であると定義した。(暴力の独占)

「国家」による暴力装置は具体的には警察と軍隊の二つに分ける事ができる。前者は主に国内の治安維持を担い、後者は国外からの安全保障面での役割を期待される。つまり、軍隊が国家の主権者たる国民に銃口を突きつけることは国民国家においてあるまじき行為であり、許される事ではない。しかし、あの太平洋戦争の終盤の沖縄戦では日本軍が沖縄の民衆に銃口を向けた。国民を守るはずの軍隊が国民を殺す。沖縄県民は日本国民ではないのか?天皇主権から国民主権に代わり、自衛隊文民統制する事に成功したとしても、戦争という精神の極限状態では必ず弱い立場の人間が殺されていく。如何なる制度・仕組みを構築しても戦争というものが起これば全てなし崩し的に崩壊する事を日本人はあの戦争から学び、次の世代に継承していかなければならないと思った。

 


「国家」による直接的暴力の伴わない形態による国家権力の行使が教化、教育である。立川談志は戦前と戦後の価値観、自らのアイデンティティが昭和20年の終戦を境に180度ひっくり返った事で、世の中の全てを疑う目を持つようになったと言っていた。太陽は昨日と変わらずに東から出て西に沈んで行くのに、自分の観ている世界がガラッと変わる。自分が違う国に来ているような感覚に襲われる。素直で勤勉な心を持った子どもほど自分が築き上げてきた価値観が壊された時に、対応できなくなる。戦時下の教育は批判的思考力のない子どもの世界観を幾らでも都合の良い方向に調節できることを証明していた。

 

 

 

平和を構築していく視点として、対外的な安全保障を考える視点は必要だ。しかし、対内的な国家権力の暴走を監視する視点の両輪が揃って狭義の平和の構築が実現できるのではないか。

 


平和を構築する視点として、現実を踏まえた理想を目指さないければならない。でも、理想を追いかけない社会に未来はない。学校というところは理想を語るところだ。

■古代中国の儒教精神と「孝」の再考

●親孝行、敬老の精神を学校で教えるべきか

 

・古代中国の儒教精神と「孝」の再考

 


儒教では理想的精神である「仁」とは「礼」に従うことであり、かつ「仁」を広く社会に おいて実現させる手段であると孔子は答えている。そして、具体的には「礼」を一切の行動 規範にすることが望ましいとされる。今回は福祉の視点から、古代中国の「礼」における弱 者の位置付けとして、幼人、老人、貧困者、障がい者への配慮も記されていることが確認し たい。この中で幼は「愛護」の精神が要求され、老は「養敬」が求められる。「孝」の精神 には物質面での配慮を前提として、かつ精神面での配慮の「敬」を伴ってこそ初めて「孝」 となることが孔子によって示されている。年功序列は古くからその価値観をもって社会的 基準を確立して、加齢による身体的条件に関わらず優遇される社会システムが構築されて きた。古代中国に見る福祉の概念の中では、高齢者への配慮は弱者保護という観点以上に年 功序列を前提にした儒教の基本理念である「孝」の価値観に基づいて構築されている。この「孝」の確立した社会こそが秩序の保たれた理想社会なのである。

 ・なぜ「孝」の精神が必要なのか

儒教思想での「孝」は人間を死の恐怖から解放する役割を持つ思想である。「孝」の実現 は身体的制約を受ける「老」への不安や恐怖を解消する役割も果たしていると考えられる。 なぜなら、加齢によって弱者になるのではなく物質的、精神的な配慮を獲得できるからである。我が国の老人福祉法にも「老人は、多年にわたり社会の進展に寄与してきた者として、 かつ、豊富な知識と経験を有する者として敬愛されるとともに、生きがいを持てる健全で安 らかな生活を保障されるものとする」とあり、「敬愛」の対象であることが明示されている。 これは他の東アジア諸国と同様に古代中国の儒教精神が我が国に影響を与えたものと推測 できる。一部では、儒教は人間を差別、区別し、「孝」の思想が「個人の尊重」を掲げる日本国憲法に反すると指摘する。しかし、我々日本人が古代中国からの思想とは無縁ではいられず、歴史的な制約からも自由になることはできないとすれば、真に日本人の美徳を自ら失うことを選択することは両親、ご先祖様への冒涜であり、許されるものではないと考える。 欧米文化の流入個人主義社会の到来は日本人の「孝」の思想を破壊しようとしている。も う一度立ち止まって、「孝」の儒教精神を大切にしていきたい。

 

 

 

・日本の核家族化と子どもたち

 近年、核家族化が進み、親と子どもという二世代家族の形が日本の主流を占めている。これまでは長男以外の次男、三男が新屋に出て核家族化することはあったが現在ではその生まれに関係なく核家族化が進んでいる。それまでの祖父母、親、子どもという三世代が同居していた日本の家族制度の枠組みが都市部を中心に崩れてきている。ここで日本の家族のあり方に関しての是非は述べないが日本の子ども達が祖父や祖母といった年配の方との交流が非常に限定的になり子どもにとっての親が自分の親に対し親孝行する機会を見ることが少なくなっている。また、敬老の心と親孝行の精神はその相関性を有することは周知の事実である。

 また、近年「老害」などと言う汚い言葉を耳にすることが多くなった。長い人生のなかで獲得した生活の知恵や人との関わりあいなどについての見識を有するお年寄りを尊重するこころの育成が教育現場で求められている。そんな現代において、お年寄りと子どもたちの交流は相手を思いやる心の育成に資するところが多くあると考える。 

 

・絵本『だいじょうぶ だいじょうぶ』から学ぶ                

 あの恐ろしい戦争から70年以上の時が経つ。日本の家父長制や忠孝の精神が日本の軍国主義を助長したという批判により戦後の日本では学校現場で親孝行を教える事が難しかった。孝行の精神は強制されるものでは決してない。それは自発的に親や祖父母を大切にする気持ちであり、人を思いやる気持ちの基本でもある。そのことを踏まえた上でいとうひろしさんの名著『だいじょうぶ だいじょうぶ』から孝行の精神を考えていきたい。

 この著書は私が読み聞かせすると毎回涙が出てしまうほど偉大な児童文学の一つである。大まかな内容はおじいちゃんと孫のぼくが散歩をして世間を知るうちに不安や困難にぶつかっていく。その度に、おじいちゃんはぼくに「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と声をかけてくれる。時が経ち、ぼくが大きくなっておじいちゃんが年を取り入院する。大きくなったぼくは病院にお見舞いに行きおじいちゃんの手を握りなんどでも、なんどでも繰り返す。「だいじょうぶ、だいじょうぶだよ、おじいちゃん。」ここで物語がおわる。この絵本から私は二つの事を子ども達に考えさせたい。一つ目は自分より先に老いていく祖父母に対して愛情を注いでもらった分、少しでも恩返しをする孝行の気持ち。二つ目は友達や家族が不安や悩みを抱えている時に「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と声をかけたり思いやりの心をもつことである。

 

・お年寄りを大切にできる国へ

 人生100年時代と言われる今日において私たちもいずれは年を取る。そんな時代であるからこそ人生の先輩としてお年寄りに敬意を示し、思いやりの心を持つことが大切である。日本人が大切にしてきた忠孝のこころ、儒教の精神を過度に崇拝するのではなく節操をもって大切に育てていくことが必要だと考える。これは教育現場だけでなく介護や医療現場においてもお年寄りに対して尊厳ある対応をとることの大切さに共通する。敬老の心を畏怖の気持ちによって押し付ける家父長制的教授ではなく思いやりの心の観点から敬老の心、親孝行の精神を育てていきたい。敬老のこころを育てる道徳教育は人間が老いを尊厳をもって過ごす事ができる社会を作るとともに、子どもたちの心の成長にも大いに資するものと考える。

 

 

 

■『一つの花』の教材開発研究

●『一つの花』の教材開発研究

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今回、学芸大学の国語科所属院生と協同で、初等教育における平和教育教材開発を行いました。今回は今西佑行さんの『一つの花』を教材にして、近代文学の語り手に着目した読みを通して言語表現を分析し、平和意識を育むことができる教材開発を行いました。

 

本来、平和教育は学校教育活動全体を通して学習を進めていくテーマです。社会科教育だけでなく、国語科、総合的な学習の時間、道徳学習、図工、音楽など教科横断的な平和教育のカリキュラム構築が可能であると考えています。また、今回は小学校四年生の国語科の教科書教材の『一つの花』で有名な今西佑行さんの戦争児童文学作品を分析しました。今西文学の特徴として、生まれながらにして戦争という、負の遺産を背負わされた戦後の子ども(人間)の生き方を描いている。ex『ヒロシマの唄』

戦争中にこの世には存在しない、または物心ない子ども達にも大平洋戦争は大きな傷を背負わせている。これは公害問題でもしかり、胎児性水俣病と同じ構図であり、真に戦争被害及び、戦争責任が「戦後レジームからの脱却」という言葉で区切られ、終わりということにはならないと考える。

 

『一つの花』指導案

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■日本型福祉レジームとは何か

 


●日本型社会福祉レジームの限界

日本の社会保障制度は実に特異である。エスピン・アンデルセンが指摘する先進福祉国家 の3類型(イギリス、アメリカをはじめとする個人や家族の自助努力を重んじる自由主義レ ジーム、大陸欧州を中心とする職域別、家族ケアを前提とする保守主義レジーム、北欧諸国 を中心にする高福祉高負担の社会民主主義レジーム)とはいずれとも異なる日本型社会福 祉レジームを構築してきた。戦後の日本型社会福祉レジームとは、家族と企業を福祉の担い 手とした独自の福祉システムを保守政権が形つくってきたところに特徴がある。その日本 型社会福祉レジームを支えてきた基盤が時代の過渡期に差し掛かりつつある。日本でも個 人主義社会が到来する中で、政府は労働力不足に対して、女性の社会進出を進めるだけで、 社会保障制度を整備しようとしない。女性の社会進出という一見美しい言葉の裏には労働 者階級の生活をさらに苦しめている現実がある。また、日本の企業中心的な社会保障システ ムは自営業者や中小企業などと大企業の格差を助長している。これまでセーフティネット として機能してきた日本の家制度を破壊しておきながら、何も対策を打たない社会でどう やって生きていけば良いのか。少子高齢化社会の進展とともに、日本の社会保障関連費は 年々右肩あがりを続けている。このような状況の中で、経産省は不足する労働力を女性の社 会進出で補おうとする。一方で、厚労省は膨張する社会保障費の抑制を家族の自助努力で補 おうとする。そのしわ寄せが待機児童や介護の問題となって表面化している。 日本の家制度の崩壊と個人主義社会の到来は、日本の社会保障制度を北欧型の福祉国家へ と移行する過渡期にあるのか。私は日本が(これまでも、これからも)真の福祉国家にはな りえないと考える。

●日本の社会民主主義政党の失敗と負の遺産

北欧型の社会保障制度を理想とする一方で、日本では社会民主主義政党が政権を取ること は難しく、増税へのコンセンサスも非常に難しい。民主党政権の唯一の成果である消費増税社会保障の一体化も安倍政権の元で骨抜きにされた。一方で、戦後日本の社会保障システ ムは、社会民主主義政党が政権を取ることが非現実的であったために、自民党がウイングを 左に伸ばして社会福祉の充実に努めてきた。繰り返すが、日本の戦後社会福祉レジームは欧 州各国とは異なり、家族と企業を福祉の担い手とした独自の福祉システムを保守政権が形 つくってきたところに特徴がある。また、企業中心主義的な体質を持つ日本の民間労組は新 自由主義に親和的な一面があり、左派政党の分裂を引き起こしてきた。そのため日本では、 国民的な社会保障政策へのコンセンサス形成は非常に難しく、増税を訴えた政党は次の選 挙で必ず議席を減らすことになる。社会システムが大きく変動している中で、保守層のみならず、都市部の無党派層の多くが社会保障増税への反対を口にしている。 日本の社会民主主義政党への歴史的な不信感が日本の社会保障と税の一体改革を阻害する 原因になってきた。よって、安倍政権のような保守政党による福祉拡充策が取られることは あっても、欧米諸国に見られる社会民主主義政党による増税福祉国家建設への道のりは 困難であると考えられる。

 

●権利と責任を問う

本来、欧米諸国は保守政党社会民主主義政党が交互に政権を担当することで、1950〜70 年代に福祉国家の全盛期を迎えた。イギリスの労働者党、フランスでは社会党が福祉政策を リードしてきた。各国に共通して社会主義への危機意識が福祉国家の建設を後押ししたこ とは間違いない。一方で、80年代には東側陣営の低落と、サッチャー、レーガンを中心と する新自由主義が巻き返しをはかるにいたる。日本はエスピン・アンデルセンの示す3つの 福祉国家論(イギリス、アメリカをはじめとする個人や家族の自助努力を重んじる自由主義 レジーム、大陸欧州を中心とする職域別、家族ケアを前提とする保守主義レジーム、北欧諸 国を中心にする高福祉高負担の社会民主主義レジーム)には当てはまらない保守政権によ る日本独自の社会保障システムを確立したのである。また、それは日本の家制度による、長 男家族が両親の介護及び当家の全責任を担うと同時に、財産を保護されるという関係性に よって担保されてきた制度設計であった。しかし、戦後の兄弟間の相続分平等の原則が民法 上認められると、長男家族が両親の介護、家業を担う責任を負わされて、財産だけを分配す るという極めて不平等な事例が多くみられることとなった。日本の社会保障システムが少 子高齢化と個人主義社会という社会システムの転換期にあるなかで、戦後日本型社会福祉 レジームから北欧型の社民主義レジームへの抜本的な脱却が困難ななかで、介護問題をは じめ、個人の社会保障の責任所在が不明確のまま、家父長制的家制度を解体することは非常 に困難をともなうものである。戦後日本型福祉レジームからの脱却が難しい中で、日本の責 任と権利を一体化した家父長制的家制度及び財産権の明確化は必要不可欠であると考える。

■ポスト安倍の行くへ

一年後に迫る自民党総裁選に向けて党内の政局が慌ただしくなっている。安倍4選が囁かれる中で、政権の支持率が落ち込みポスト安倍レースが白熱してきた。今回はポスト安倍ポスト安倍の次を見越した自民党内の政局について分析していく。

 


●平時の岸田文雄、有事の石破茂

 

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ポスト安倍レースで先行してきたのが宏池会岸田文雄水月会の石破茂池田勇人を源流とする自民党の名門派閥として大平正芳鈴木善幸宮澤喜一と四人の総理大臣を輩出して、政界に一定の存在感を示してきた宏池会は、ハト派の外交・安全保障政策、緊縮財政を掲げる。保守本流の名門宏池会を率いるのが政調会長岸田文雄である。岸田が党内の安倍批判を取り入れず、安倍裁定を待つ決断に至った背景には宏池会の苦い過去の記憶があるのではないか。世に言う加藤の乱である。当時の宏池会の領袖を務めていた加藤紘一森内閣不信任決議に同調する姿勢を示すと、野中広務幹事長始め、党執行部によって鎮圧された経緯がある。この加藤の乱宏池会は二つに分裂した。岸田は加藤の乱の教訓から安倍、麻生の党内2大派閥の後押しを期待している。党内議員に支持を広げる一方で、党員、一般国民からの支持に広がりを欠く。国民世論が自民党に親和的であれば、キングメーカーの安倍の後押しにより順当に岸田政権が誕生するであろう。

 


岸田と相対する政治家が石破茂だ。石破は父の石破二朗の死去により、当時最年少で衆院議員になり、父親と同じ田中角栄に師事する。一度自民党を離れて、小泉内閣防衛大臣などを歴任。2012年の総裁選では第一回投票で首位に立ち、地方票で安倍を上回ったが、国会議員による決選投票で安倍に破れた。第二次安倍内閣では党幹事長、地方創生相のポストにつた。石破は2015年に水月会を立ち上げポスト安倍候補として、安倍批判の受け皿になる。18年総裁選では反安倍の国民世論の後押しも及ばず安倍に二度目の敗北を喫した。そんな石破陣営が期待を寄せるのが、二階幹事長率いる二階派だ。風見鶏の二階は次を見越して石破派に急接近している。石破の弱みが党内基盤の弱さにあれば、強みは国民世論の後押しだ。今後、自民党の支持率が低迷を続ければ、打開策として石破政権もありうる。少なくとも総裁選出馬に必要な国会議員20人を確保する為にも二階派の抱き込みが重要になる。

 

 

 

細田派に燻る不満と安倍四天王

 

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かつて田中角栄キングメーカーとして君臨した時代、田中派からは竹下登金丸信を中心に自派閥からの総裁候補擁立を求める動きが活発化した。現在、最大派閥の細田派内からもポスト安倍に向けて、次の次を見越した動きが活発化している。安倍四天王の一人に挙げられる下村博文は父親を幼い頃に亡くして、板橋区議から第二次安倍政権で文科大臣まで登りつめた苦労人。国会閉会後に稲田元防衛相とともにコロナ後の社会のあり方を巡る勉強会を設立した。同じく安倍四天王の稲田朋美は安倍と政治信条が近く、第二次安倍政権では党政調会長、防衛相など要職を歴任。最近は野党時代の右派的論説を避けて、選択的夫婦別姓の容認などウイングを大衆に広げており、党内保守派からの反発を招いている。最後に、現在、経済再生相としてコロナ危機に対応している、西村康稔が挙げられる。2012年の総裁選でも若手ながら立候補しており、今回のコロナ危機で一気にメディアへの露出を増やした。一方でコロナ対応で総裁選レースから遠ざかったのが加藤勝信厚労相だろう。

 


●次の次を狙う河野太郎

 

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安倍-麻生連合の支援を受けるのが麻生派の希望株の河野太郎だ。しかし、祖父の河野一郎岸信介と岸政権後の自民党総裁の座を約束していた。しかし、約束は守られる事はなく、岸は池田に総裁の椅子を譲った。父の河野洋平自民党総裁に登りつめるも、総理大臣にはなれなかった。果たして河野太郎はそんな河野家の屈辱を果たせるか。

 


父の河野洋平といずれも総理の椅子を逃してきた河野家の屈辱を果たせるか。

■2020都知事選考

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まず、今回の都知事選は小池の一本勝ちという結果に終わるだろう。コロナ対策及び危機対応時における、現職候補の落選の可能性は極めて低い。また、与党の自民党公明党が候補者、公認を出さずに自主投票を決定している。前回の都知事選での恨み節がある自民党の票は分散されるだろう。一方で、党の足腰にあたる都政において一定の影響力維持を狙う公明党の票は、コロナ危機で学会の活動が鈍る事は必然でありながらも、小池の元にも流れるだろう。よって、自民党という最大の敵の不在、公明票の一部獲得、無党派層の支持を手堅く取り入れることで小池再選はほぼ確実と言っていい。

 

今回の都知事選で注目すべきは当選者ではなく、次点以下の、各候補者の得票率である。都知事選は過去数十年、不毛な人気投票の場と化してきた。よって都知事選では無党派層の動員が鍵を握る。今回の都知事選では私の注目する5人の候補者とその政策を簡単に比較分析してみたい。

 

新自由主義福祉国家論の対立

 

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今回の都知事選で、新自由主義的政策を掲げる候補者は維新の小野たいすけ(日本維新)がいる。維新は緊縮財政を旗印に大阪で一定の支持を手堅く広げ、国政及び東京都へと支持を広げている。昨年の参院選東京選挙区で5人目の候補に立憲民主の二人目を抑えて維新の候補が滑り込んだことは私にとって驚きであった。新自由主義に親和的な都民を維新が包括する事に、一定の成果を上げていると言えよう。

 


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一方で新自由主義路線への対抗として、福祉国家論を展開するのが共産、社民、立憲民主、国民民主の一部が推薦する宇都宮健児である。共産党が主導した野党統一候補の選定は、国民民主党野党共闘の枠組みに取り入れることができなかったという致命的なミスを犯しながらも、組織票をどれだけ固められるかで野党共闘の成果が図られる。小池との全面対決に気の進まない国民民主を取り込めなかった立憲民主は、またしても共産党に引きずられる形で野党共闘を後退させたのではないか。

 

同じく福祉国家論を展開するのが、れいわ新選組山本太郎である。組織票を重視する宇都宮に対して、山本はこれまで左派ポピュリズム的な政治手法に訴えてきた。財源の裏付けが不明確な中で、山本の左派ポピュリズムがどれだけ支持を集めるかによって、安倍政権の福祉政策に一定の影響を与えるだろう。宇都宮と山本の左派分裂選挙野党共闘に大きな影を落とすことになるのは確実である。

 

 

●右派ポピュリズムと排外主義的ポピュリズム

 

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次に一部の既得権益に対して、攻撃的手法に訴える右派ポピュリズムを展開する、ホリエモン新党(N国)と排外主義的ポピュリズム政党の日本第一党について注目したい。ホリエモン新党の立花孝志は、公共放送のNHKをはじめ、政党、検察などの既存のエリート層を批判することで支持を広げてきた。この現象は米国のトランプ現象や欧州各国に見られる右派ポピュリズム的性質を垣間見る事ができる。これまでポピュリズムとは無縁と思われていた日本でも上部層をターゲットにした下からの突き上げによるポピュリズムが広がりを見せるのかは注目に値する。

 

一方で排外主義的ポピュリズムの性格を有する、日本第一党桜井誠の得票数にも注目したい。桜井はインターネット上で在日朝鮮人の権利剥奪を訴えて、いわゆるネット右翼の支持を集めてきた。自身を「行動する保守運動」と称して、前回の都知事選では11万票を獲得した。(驚き!)特に日韓問題が停滞する中で、櫻井の前回の得票数と、今回の都知事選の結果を比較することは日本の排外主義的ポピュリズムの動向を見る事ができるのではないか。

 

都知事選の動向は国政にも大きな影響を与える。都知事選を不毛な人気投票とすることなく真に政策論争が展開される事を願うばかりである。