◇平和教育実践研究会 6月例会記録

◇平和教育実践研究会 6月例会記録

テーマ 「戦争と平和を綴った子どもたちの作品をどのように教室でいかし、語り継いでいくか」

6月例会では作文教育がご専門の泉宜宏先生にお話をいただきました。教室で平和について学ぶなかで、子どもたちが書き綴ってきた作文や詩を読み合うことの意義についてみんなで考えてみました。実際に学習会の中で子どもの作文をみんなで読み、気づいたことを出し合ってみました。今回は、地域の忠魂碑から親戚のおじさんの名前を見つけたことをきっかけに当時の戦争のことを調べた小学生の作文や学童疎開の体験をもとにした作文を読み合いました。「どうして戦争が始まったのだろう?」、「当時は兵隊に行くことを断れなかったのかな?」、「戦場になっていたところはどこなのか?」など子ども達の様々な疑問や感想が予想されます。作文を読んで子ども達が感じたことや子どもの気付きを大切にしながら、地域にある戦争遺構を調べたり、個人の出来事を年表や地図にまとめたりする活動を通して個人の体験を社会の出来事とのつながりの中で考えていきます。

①地域にある史資料と子どもたちが出会う
→忠魂碑や墓碑、掩体壕や防空壕について調べる。
②父母、祖父母、地域の人々に語ってもらう
→聞き、書きの活動を大事にする
③年表や地図に落とし込んでいく
→「個人的なことは、政治的なことである」


今回の学習会では教師の教材研究と教材選択、そこから子どもがどんなことに気づき、自分なりの問いをもつのか。そこから学びは始まっていくんだということを学びました。まず、教材研究(選定)ですが、子どもは学ぶ対象が子どものことになると自分に引き付けて考えることができます。自分と同い年の子どもが書いた作文や学童疎開を教材化することで当時の子どもの気持ちを想像することができます。こちらから一方的に伝達するのではなく、作文を一緒に読むことで子ども達と戦争と平和の問題について考える授業になっていくのだと感じました。

また、作文だけでなく当時の絵画や写真などから、社会の問題に迫っていく授業も子どもの気づきから出発することが大切であると教わりました。藤田先生の沖縄学習では一枚の写真から沖縄の戦後史を考えさせる授業です。一枚の写真から沖縄の人の生活、基地問題、沖縄戦、国際情勢など、個人の問題から社会の問題へと視野を広げていくという学びの広がりは、泉先生の作文を子どもと一緒に読んで平和について考える学習とも共通する視点だと思います。

今回の学習会では小学校の授業実践について深く学ぶことができました。今後も平和を授業、学級の中で子ども達とどのように考えていくのか。小学校から中学校、高校や大学の学生まで様々なアプローチの仕方について当研究会では学んでいきたいと思います。

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◇平和教育実践研究会 5月例会記録

◇平和教育実践研究会 5月例会記録

テーマ 「国際理解教育と平和」

5月例会は「国際理解教育と平和」というテーマのもとマレーシアに留学経験のある尾藤葉菜さんから「留学体験を通して考える国際理解と平和」について。西村美智子先生から「国際理解教育と平和教育 その関係性と教育実践」について国際理解教育の目標、国際理解教育の授業実践の発表をしていただきました。


◯国際理解教育とは・・・
「国際化・グローバル化した現代世界社会の中で生きていくために必要な量備や能力を育成する教育」であり、「人権の尊重を基盤として、現代社会の基本的な特質である文化的多様性および相互依存性への認識を深めるとともに、異なる文化に対する寛容な態度と、地域・国家・地球社会の一員としての自覚を持って、地球的課題の解決に向けて様々なレベルで社会に参加し、他者と協力しょうとする意思を有する人間である。同時に、情報社会の中で的確な判断をし、異なる文化を持つ他者とコミュニュケーションを行なう技能を有する人間を育成する」ことを目指している。

◯国際理解教育における体験学習
国際理解教育の中で特に重視されているのが体験学習である。体験とは何らかの学習目標を達成するための方法と考えられるが、体験すること自体の中に、学習者にとっての様々な気づきや発見、喜びや感動があり、それらの重要性を授業者がより意識的にカリキュラムに組み込むために、体験目標を設定する。

①(人と) 出会う・交流する→気づく・発見する
【知識・技能目標】
②(何かを)やってみる・挑戦する→わかる・納得する【思考・判断・表現目標】
③(社会に)参加する・行動する→実感する・共感する【学びに向かう意欲・態度】

◯国際理解教育と平和教育
「国際理解教育」とは「国連憲章、ユネスコ憲章および世界人権宣言によって要望されているところを、「教育」を通じて実現せんとするものでありこれは日本国憲法、教育基本法と共通するものである。国連諸団体が進めてきた「国際理解教育」と各種民教連団体が進めてきた「平和教育」を分離して捉えるのではなく、平和のための「国際理解教育」として目的地は同じ方向性を向くことが必要である。以下、国際理解教育学会の嶺井明子氏の論考を抜粋する。(『国際理解教育vol30』を参照)

朝鮮戦争に象徴される米ソ冷戦と国際情勢が陰を落とすこととなった。「日本を『反共の岩』と位置づけた」政策が進む一方、日本教職員組合が「教え子を再び戦場に送るな」をスローガンに「平和教育を取り組みはじめた」ことで、「『上からの国際理解教育』と「平和教育」との分離」が指摘される状況となったということである。戦後日本の平和教育が、教職員組合や民間教育研究団体等の教育運動に支えられて展開したことが、豊富な研究と実践を生み出すことになったのであるが同時に、「政治的対立が影を落とす」要因となったことも否定できない。しかしながら、ユネスコ憲章や日本国憲法の平和理念を共有する国際理解教育と平和教育は、本来共通の課題に取り組む親和性の高い教育領域であり、今日では両者を「分離」して対立的に捉えるのではなく、関連づけて捉える(国際理解教育と平和教育が相互に学び合う)のが一般的である。


◯ 尾藤葉菜さん
「留学体験を通して考える国際理解と平和」

国際理解を深める体験として、海外留学があります。尾藤さんはマレーシアへの留学から学んだこと、日本との文化の違いについてお話をいただきました。宗教や食生活、時間の捉え方など様々な違いを留学では肌で感じることができること。また、留学先での交流を通して、「あなたはどう考える?」という問いを留学生同士で話すことで「自分はどう生きていくのか」ということを考えるきっかけになったそうです。また、議論では日本の学校教育の中で平和学習の基層に「異なる他者を認め合える関係性をつくる」ことが大切であると発言がありました。

◯西村美智子先生の授業実践
「日本とコリアの歴史を学び、ともに未来を拓く」

西村美智子先生からは日本社会における「内なる国際化」の問題およびアジアの国々への向き合い方を問い直す「共生」のための「対話」としての歴史学習についてご報告をいただきました。まず、国際理解の土台としての文化交流として、在日コリアンの方との交流やチマチョゴリを着たり、韓国の食文化を体験したりするコリアDayを実施。体験を通じて朝鮮半島の文化に親しみます。体験を通して文化交流を行うだけでなく、真の国際理解のためにはお互いの国の歴史を学ばなければなりません。国際理解のための歴史教育として、近隣地域にある浅川地下壕での在日朝鮮人労働者の強制労働の実態から当時の日本と朝鮮半島の関係について学びます。

◯学芸会を通して学びを自分のものにする
西村先生の実践の中で、特徴的なものはこれまでの学びを子ども達が学芸会をつくることで体験的に自分たちの中に「落とす」ことができることです。今回の実践では学習のまとめともいえる学芸会で、過去の朝鮮人や支配者である日本人を演じることを通して、置き去りにされ忘れ去られようとしている在日コリアンの歴史と向き合い、その中で生きた人々との対話によって「もう一つの歴史」の存在を知ることができます。保護者や子どもの感想から、私たちが学んできたものが国民国家の歴史であり、犠牲となった人々、名もなき民衆の視点が欠落した歴史であったことを認識する
子ども達の姿が見えてきました。

今回の学習会では「国際理解教育と平和」というテーマのもと留学体験や学校での異文化理解、国際交流、人との出会いなど様々な体験学習を積み重ねることで子ども達の国際感覚や相手意識を育み、平和な社会の構築を目指す主権者の育成に繋がってい

くと考えます。

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◇平和教育実践研究集会 四月例会 記録

◇平和教育実践研究集会 四月例会 記録

四月例会は都留文科大学の西尾理先生に都立高校での平和教育の授業実践の中から① 「君の心が戦争を起こすーヒトラーの場合」、②「じゃぱゆきさん物語ー構造的暴力と平和」というテーマでご報告いただきました。

 

◾️「君の心が戦争を起こすーヒトラーの場合」
一つ目の授業実践の報告では、直接的暴力が行われる戦争についての原因を考える授業実践です。西尾先生は著書の中で 「生徒に、戦争についての文章を書かせると、決まって多いのが国の指導者を非難する主旨の内容である。しかし本当に指導者だけが悪いのだろうか。それだけでは複雑な戦争の原因にしては単純すぎてしまうし、主権者としての公民的資質など育たないだろう。そこで、生徒自身が主体的に平和を希求する担い手になるためには、まず自らを対自化する必要がある。そのための考える契機を与えるものと位置づける。」と述べています。戦争の原因が指導者側にあるのか、国民側にあるのかという問題は、緊急時における強いリーダーシップを求めるか、民主的プロセスを大事にするのかを考える問いにつながります。

ナチスドイツがどのような歴史的経緯で戦争への道を進んで行ったのかを当時の人々の視点に立つことで、「なぜ、ヒトラーのような人間に全権を委ねたのか」という問いに対して、現代のいじめの全体構造と絡めて考える授業実践をご報告いただきました。

 

◾️「じゃぱゆきさん物語ー構造的暴力と平和」
次に平和教育において南北問題の内容を扱った授業実践としてじゃぱゆきさん物語り(外国人労働者問題)を扱った授業実践をご報告いただきました。じゃぱゆきさんとは身ひとつで日本に出稼ぎにやってくるアジアの女性たちのことです。この授業実践ではある1人のじゃぱゆきさんの生い立ちに焦点を当てることで個人を見ることで、南北問題の構造を理解させる授業構成になっています。また、アメリカ、フィリピン、日本の関係を捉えることでフィリピンの民衆が置かれている状態が自然発生的ではなく、恣意的につくられたものであることを理解することで、そこに隠れている構造的な暴力を認識することができます。

◾️平和教育実践の積み重ねとこれからの平和教育
これまで日本の平和教育は民間教育団体を始めとする多くの授業実践があり、主にアジア太平洋戦争の内容を扱った実践報告が多くなされています。また、平和教育の授業教育方法も演劇的手法を取り入れるなど様々です。一方で、現代の戦争を平和教育でどう教えるかを考える必要性も議論されました。また、会場からは戦争の捉え方として、戦争は国家総動員で行われるものであるから戦時下の「国民の生活」を捉える視点も必要であることをご発言いただきました。また、小学校、中学校段階では人物学習として人やモノを通して社会の構造を学ぶ(大津和子の一本のバナナ実践など)発達段階に応じて授業を構成することができると考えました。

 

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◇平和教育実践研究会 三月例会 記録

◇平和教育実践研究集会 三月例会 記録

三月例会は都留文科大学大学院文学研究科の佐野慎之助さんに「図書館と平和〜歴史的な視点から」というテーマでご報告いただきました。

◯図書館とは何か
今回の報告ではまず「図書館」を大きく分けると公立図書館や私立図書館(図書館法上で規定されるもの)と学校図書館(学校図書館法上で規定されるもの)に分けることができるとし、今回「図書館」と表記した場合は、両方の図書館を含むものとして講演いただきました。

◯図書館と平和教育は関係するのか
図書館と平和教育の関係性を佐野さんは学習指導要領との関連性から他機関との連携した教育が求められているとの明文から、平和教育を推進する際に学校現場だけでは提供が難しい資料も提供することができること、学校現場と図書館がお互いの強みを生かした平和教育が実施できることを指摘しました。また、図書館と平和の関係性について以下の5点を挙げていただきました。
・情報への自由で平等なアクセス
・批判的思考の育成
・主権者教育の基盤
・多様な価値観に触れる公共空間
・市民の自治的活動を支える場

◯学校図書館の利活用について
報告を受けて自由討論では平和教育と学校図書館について意見が出ました。特に学校図書館の選書でどの本を選び配架するのか(科学的根拠に基づかないいわゆるトンデモ本、政治的議論の的になる書籍、宗教関連本等)は誰がどのような経緯で決定しているのかは図書館や学校ごとに異なること。また、一度加配された本を除籍する際には説明責任が必要でありとても難しいことなどが議論されました。(「はだしのゲン」を学校図書館から排除しようとする動きにも言及。)
また、学校現場における図書の時間が子どもの読解力にどの程度の効果を挙げているのか研究者の間から疑問がでました。また、現場の声として学校図書館の役割を子どもの安心空間、子どもが教材を唯一選択できる時間、多様な価値観に触れることができる時間と好意的な意見がでました。また、教師が教材を選択し、子ども達に提示する平和学習と比較して、子ども自身が平和実現への課題を設定し、学習課題に合う書籍や資料を自ら選択することができる授業を構築することで、旧来から指摘されているいわゆる「価値の押し付け論」を超える平和教育が図書館を活用することで可能ではないかと新たな方策についても議論されました。また、その前提として図書館(図書の時間)が、子どもが本を「選択」する権利が保障されることが平和の必要条件である(市民、子どもが多様な意見に触れる図書を選択できない国家は平和が実現されているとは言えないのではないか)という意見があがりました。

→佐野報告では図書館と戦後民主主義の関わりを図書館史や図書館に関係する法律、「図書館の自由に関する宣言」、図書館と社会教育など多角的な視点から問題提起をしていただきました。特に図書館が戦後民主主義(日本国憲法の実現)に大きな役割を果たしてきたことから図書館が戦後日本の平和に果たした役割についても言及していただきました。

ここでは「図書館と平和」の一部を記録し、その他は省略させていただきました。

今回の研究会では20〜30代の研究者、現場の教育者の双方の異なる視点から議論が展開されました。

 

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◇平和教育実践研究集会 二月例会 記録

◇平和教育実践研究集会 二月例会 記録

二月例会は歴教協でお世話になっております滝口正樹先生に「私の教師論、社会科授業論、教育実践論」と題してご講演いただきました。


◯「本当のこと」を教えられる(社会科)教師になりたい。
滝口先生は自分の「社会参加」の体験を積み重ねるなかで、「学ぶ側の立場に立てば、『本当のこと』が知りたいだけでなく、『知る権利』があるはずであり、社会科教師の果たす役割は限りなく大きい。だとすれば、『本当のこと』を教えられる社会科教師になりたい」と、強く思うようになったと自身の現体験をもとに教師の社会科論をご教授いただきました。また、それは教師自身の社会参加や社会観に裏付けされています。社会科教師の役割の一つに社会と教室をつなぐこと。教科書だけでは学べない世界を子ども達に見せてあげることが大切だと学びました。

◯大学時代に身につけるべき「教養」
教師の教育観を構成する自信の現体験を自分史として整理することで現代の問題を自分はどう考えるかを可視化することができると考えます。高校、大学時代で何を学んだかはその人の社会観、教育観に大きく関わってきます。滝口先生は大学時代に身につけるべき「教養」について以下のように述べています。

大学時代には学問的知識を身につけることは大事であるが、あれやこれやの断片的な知識を一時的に頭の中に詰め込むのではなく、自分の実践的体験に即して科学や芸術を「教養」として身につける、ということが必要だと思う。私の場合には、次のようなことが「教養」の中身であった。①教育問題をはじめ、現代社会の諸問題に対して広く問題意識をもち、自分自身の生き方と重ね合わせて課題が設定できること。
②その問題意識を深め、課題を解決していくための方法として、社会科学の基礎を身につけること。
③自分なりの問題意識・課題意識にもとづく「社会参加」(サークル活動など)を通じて社会のさまざまな現実に直接触れ、実感的(追体験、豊かな想像力など)に学び、社会認識を深めること。そしてさらに、社会科教師になってからは、④子ども(論)と教育(論)と学校(論)をめぐる社会的な動向に深い関心をもち、常に目の前にいる子どもたちの現実から出発して、絶えず自分の子ども観・教育観・学校観を鍛え、問い直すこと。

◯「教員」と「教師」のちがい
鈴木大裕さん(教育研究者・土佐町議会議員)は、次のような「教師論」を述べている。「教師の存在意義は、最終的に自分を必要としない生徒を育てることにあるのではないか。でも残念ながら、多くの教員は、子どもが子どもであり続けることを必要としている。いつまでも自分の言うことをハイハイと聞き、どんな時も自分の指令を待つ優等生に育てあげることで、自分に依存させ、管理し、その子の『先生』であろうとする。しかし、そのような教員はいつまでたっても、本当の意味での先生(滝口注:教師と同義)になることはないのだと思う。そもそも、先生(教師)なんて自分の意志でなれるものではない。決めるのは生
徒だ。」(連載「先生が先生になれない世の中で」『クレスコ』2026年1月号より)

◯ 「空白の戦後史」を埋める
滝口先生のお話の中で「空白の戦後史」というキーワードがありました。私たちが高校や大学で学習してきた戦後史は政治史が中心であり、また戦後史の中の重要な社会的事象を点で捉えてきた実感があります。戦後の社会運動史や学校史について私たちはどこまで学び、現在置かれている状況とどう結びつけて考えられているでしょうか。滝口先生は「空白の戦後史」について以下のように書いています。

日本史の教科書にはもちろん、資料集の年表にも出てこない重要な戦後の史実を、私は子どもたちや若い
世代にとって“空白の戦後史”と呼んでいる。しかし、戦後80年の国内外の歴史(とくに政治史や社会運動史など)をきちんと学ばなければ(歴史的に理解しなければ)、現在の日本や世界の政治状況を自分なりに主体的に判断することができないのではないだろうか。この“空白”を少しでも埋めるためには、学習会や講演会に参加したり文献を読んだりするなど、何かのきっかけで初めて知った(問題意識を持った)事柄について、さらに自分で調べたりして自主的に学ぶしかない。

●滝口先生の発表の後にコメンテーターを和光大学名誉教授の梅原利夫先生にお願いしました。滝口先生の報告を受けて、梅原先生が以下の3つの視点を提起しました。
①自分史の中の現在
②成り行く存在としての教師
③学習権=真理探究権
①については、一人ひとりが幼少時からの自分史を語ることの重要性についての指摘で、それを通じて現在の自分の“立ち位置”を自己確認する。
②については、教師になった動機は千差万別であり、どのような教師になっていくかも人それぞれであることを「成り行く」と表現しました。
③については、私が学術会議問題での発言の中で子どもの学習権を「真理探究権」と表現したことに対して、真理探究以外にも子どもが学ぶものがあるのではないかという問題を提起しました。
これらをめぐって参加者の間で活発な議論が展開されました。

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