■この国のかたち〜節分
■節分
本来は季節の分かれ目の意味であり、二十四節気の立春、立夏、立冬の前日をさす。その中でも、旧正月に近い立春の前日がもっとも重要だとされており、現在では立春の前日のみを節分と称する。
●豆まき
節分の夜には炒った大豆を一升瓶に入れて神棚に供えた後に「福は内、鬼は外」と唱えながら豆を撒く。豆まきをするのは年男や戸主であり、まず神棚から始め、次いで各部屋や出入り口に撒く。豆まきが終わると、年の豆といって、家族がそれぞれ自分の年齢の数の豆を食べた。浅草寺や成田山新勝寺などでは関取や芸能人などが豆を巻き毎年盛大に行われている。多摩地域では主な節分祭として高尾山薬王院、高幡不動、大国魂神社が有名である。
●追儺
追儺は宮中の年中行事の一つであった。鬼を払う役を方相氏といい、四つ目の面をつけて
矛と盾を持ち、大声を上げて大内裏を回り鬼を払う。しかし、方相氏が異様な面や服装の為に逆に鬼として追われる対象となった。鬼を追う追儺は寺院の修正会、修二会に取り込まれた。神社でも節分を行うところは多い。
●柊鰯
節分の夜に、鰯の頭を焼いたものを戸口に挿し、臭気で鬼を追い払う。多くは豆殻で焼いた鰯の頭を挿し、柊の葉をあしらったもので豆殻をつけることもある。鰯の臭気と柊の棘で鬼を追い払う。