■わたしは光をにぎっている

新宿の劇場でずっと気になっていた東京の下町、葛飾区の京成立石を舞台にした「わたしは光をにぎっている」を見てきました。

 

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田舎から東京の下町に上京してきた内気な女の子が銭湯で働きながら成長していく物語です。そこには下町の人が生き付き独特のネットワークを形成しています。

 


元々、東京の下町は江戸・城下町の事で、現在の皇居を取り巻くように下町が形成されています。いわゆる山の手は武家屋敷が並んでいる地域で江戸湾近くの低湿地が町人の住む下町になります。そのため、下町は間口が狭く家と家の距離が近い。落語に出てくる長屋を想像していいでしょう。そんな下町の環境は庭が作れない中で植物を楽しむために鉢植えが流行します。盆栽や朝顔市、ほおずき市が発展してくるんですね。盆栽の話になるときりがありませんから脇に置くとしてとにかく下町はその地理的条件から人と人の距離が近い。落語に出てくる熊さんはっつぁんの世界です。特に江戸川や中川が通る葛飾区などは川の氾濫がよくある地域になります。街にはあちらこちらに水子地蔵が見受けられます。昔は大規模な橋を川にかけることは容易ではないので多くの場合が渡し船で川を渡ります。もう殆ど見かけなくなりましたが今でも残っているのがかの有名な「矢切の渡し」ですね。そんな川の付近は大雨になると洪水で何日も川を渡れません。そうすると川の側には人が集まり酒場ができます。ここにディープな下町の酒場街が形成されるわけです。

 

 

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そんな人情が息づく下町も再開発事業で東京の町から下町が消えていこうとしています。上京して見つけた大切な居場所。銭湯も豆腐屋もラーメン屋もみんな取り壊され、無味乾燥なチェーン店に変わっていきます。

 


この映画には日本の行き過ぎた資本主義へのアンチテーゼもあるように感じられます。資本主義社会の発展段階は寡占・独占形態を生み出します。その形は現在の日本ではフランチャイズ化に象徴されて私たちの目の前に現出します。今コンビニの営業時間問題が議論されていますがフランチャイズ化は人間の主体性を奪います。また、それは世界規模での文化の喪失、いわゆるマクドナルド化現象を生み出します。それは衣食住の均質化をもたらし世界中の文化の殺戮を意味します。文化が弱肉強食の世界に放り込まれれ、小さな文化は淘汰されていきます。

昔の個人商店はよくも悪くも人間関係に基づく、人間本来の営みがそこに存在したわけです。私の祖母は銭湯に毎日通う学生さんのボタンがほつれていれば治してあげたそうです。酒屋さんの前には角打ちを囲む一つのコミニティが形成されていました。そんな下町の風景はこの30年で日本から姿を消してしまいました。私の街も20年前、銭湯を中心に一つの商店街がありました。銭湯を閉めると八百屋、魚屋、薬屋、豆腐屋が消え、昨年最後の酒屋が店をしまいました。そしてわが故郷からは幼き日を過ごした畑も国に奪われます。

作中で消えゆく下町を前に主人公はこう語ります。

 

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「最後までやりきりましょう。どう終わるかって多分大丈夫だから」

私達はこれまで日本社会が有してきた農業を中心とする国家。家を中心とする社会から大きく変化を遂げようとしています。先祖が汗水垂らした田畑はアスファルトの下に生き埋めにされます。その上には高層ビルという卒塔婆がそびえ立つのです。私達にはどうする事も出来ません。しかし、私達の世代が日本の一つの時代を看取る役目を担うことを求められているのだと思います。主人公の言葉にはそういった意味が込められているのだと思います。

作中で主人公の祖母はこう語りかけます。

 

「形のあるものはいつかは消えてしまうけれどもこころだけはずっと残る」

 


私達の街は大きく変わっていっても日本人のこころは消えません。これから先も昭和、平成のこころを大切にしまって生きていきたいです。