■教育・地域の教育力を取り戻す

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●昭和の下町が伝えるもの

 

 

・地域社会の教育的視点

 かつての日本の子育ては仕事と家庭の垣根が低かったことから子どもは親や親戚、家族を身近に感じて生活してきた。親が子どもと関わる時間も長く、仕事も地域に根ざしていたため地域の繋がりは密接であった。子どもにとっての第一義的な大人の存在は親であり、血縁関係にない場合でも無賞の愛を子どもに捧げてくれる里親の存在はとても大きい。第二義的な存在は教師であると言えるのではないか。そして、第三番目に地域の大人の存在がある。地域社会の第三者たる大人の存在が子どもの教育に果たしてきた役割が今の現代日本に足りない最も大きな教育的アクターであると考える。何故ならば地域のおじさん、おばさんやお兄さん、お姉さんの存在が子どもの自己肯定感を高めることや規範意識の醸成に大きく寄与したからだ。かつて日本の下町には、いわゆる変なおじさんや世話好きな銭湯のおばさん、昼間から酒臭い魚屋のおっちゃんなど、いろいろな大人と子どもが交流する場が地域社会の中に存在していた。子ども達は彼らから無意識のうちに世の中を知り、悪い事は誰の子であろうと叱られ、時には子どもがある大人を反面教師として捉えたりなどして子ども達は大人としての自分を形作っていった。これは親でも教師でもない第三者が勉強だけでない子どもの一人の人間としての多様な良さを認めてくれる存在の機能を果たした。これは家に仕事の本拠があり、地域で子どもを育てようという昭和の精神が豊かな人間性を育む事を可能にしたのである。

 しかし、近年、特に都市部では核家族化と両親の共働きにより大人が昼間街にいないという状況ができる。これにより親と子どもの関わる時間が減ると同時に、母親がこれまで担ってきた自立への基礎的家庭教育が疎かになることはやむおえない。また、これまで幼少期に母親が果たしてきた愛着行動や特別感を得ることによる心の安定が女性の社会進出により不足し、より子どもの心に不安や寂しさが生まれている。また、子どもを見守る地域の存在が欠落することで、家庭と学校という二つの領域でしか大人と子どもの接点がなくなり、子どもが息苦しさを感じることになっている。第三者の大人は地域、親戚、そして学校の中でも欠如している。これにより価値観の固定化や逃げ場の喪失と言った問題が見られるようになった。

 

・もう一度、ふるき良き日本を取り戻す

 「知らないおじさんから話しかけられたら逃げなさい」、「うちの子をなんで注意するんですか」など都市部を中心に親が子どもを囲み、地域から切り離し大切に箱の中で育てる時代になってしまった。町からは豆腐屋やタバコ屋、銭湯が姿を消し、畑は建売住宅に変わっていく。子どもが日曜日に学校の先生の家に遊びに行き一緒にカレーを作ったり、銭湯に連れて行くということもできない時代。他人行儀を強く求められる時代において、今こそ私たち日本人は立ち止まり、あの古き良き昭和の時代をもう一度振り返ることが大切ではないだろうか。昭和の日本は貧しく、汚く、不便で、地域のつながりが煩わしいと感じる時代だったかもしれない。しかし、昭和という時代は偉大だった。日本人に夢があり活力があった。地域の親でも、教師でもない第三者の大人の存在が子どもに心の余裕をくれた。私は昭和の下町の姿を教育の視点から大切にしていきたい。

 

・私の「Always 三丁目の夕日 構想」

 私の実家の前は現在、東京都の管理する団地が広がっている。かつてこの土地は東京都の平屋造りの貸家が並び、今では考えられないが、当時はまだ各家庭にお風呂が備わっていなかった。そのため、仕事終わりに家族で銭湯にひとっ風呂浴びに行きラーメン屋で一杯飲むというのが労働者の1日の楽しみであった。私の実家は銭湯を経営しており、銭湯の周りには焼き鳥屋、八百屋、魚屋、豆腐屋、酒屋が並んでいた。いわゆる日本各地にあった商店街が形成されていたのだ。今ではかつての商店街は跡形もなく、我が家も銭湯をたたみ、昨年酒屋が閉店したことでかつての商店はすべて店を閉じた。来年にはその跡地に大きな都道が通る計画が着々と進んでいる。私たちの地域だけでなく日本全国でこのような光景を目にする。私は昭和の街の物質的な面が崩壊していく中で、地域社会が育んできた地域の人と人との繋がりや子ども達が安心して遊べる環境を守っていかなければならないと考える。幸いにも団地には子ども達が多く暮らしている。私は団地の子ども達との交流を通して榎本園芸青空教室を開くことにした。農業教育の観点から団地の子ども達とスイカ割りをやったり、ジャガイモを掘る経験を通して地域の人と人との繋がりを子ども達が感じることができればと思う。平成が終わり昭和は遠くになった。時代が進み、私たちの街は変わろうと「Always三丁目の夕日」の映画をヒントに地域の人と人との繋がりをこれからも大切にしていきたい。

 

渥美寅次郎