■寅さんぽ 愛媛県砥部町


都留文科大学の同窓で松山の友人に連れられて砥部焼の窯元を訪れました。砥部焼は江戸時代には淀川の船上で飯炊きの食器として「くらわんか茶碗」とも呼ばれており丈夫な作りと優美な肌触りで庶民に愛されてきた陶磁器です。

 

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そもそも陶磁器とは陶器と磁器の総称であり陶器は主に粘土を原料としたもので吸水性があるが透明性はありません。手触りとしては土の温かみがあります。一方で磁器の材料は石英や長石を多く含む陶石を用いる為、透明性があり吸水性はほぼなく、砥部焼は磁器の部類に入ります。

 

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○なぜ砥部焼ができたのか

砥部焼は江戸時代に大洲藩財政再建を目的に発展した日本を代表する陶磁器の一つです。なぜ砥部町が日本有数の焼き物の産地になったのか?それは愛媛県に陶石が多く産出する中央構造線という断層が通っているからなんです。砥部は恵まれた自然環境と陶磁器の源流でも伊万里筑前から陶芸を習うことで発展していきました。

 

砥部焼の歴史

江戸期の大洲藩によって発展してきた砥部焼は明治期に入ると主に伊予ボウルと呼ばれ海外への輸出に力を入れました。昭和恐慌によって一時期衰退しますが戦後は柳宗悦が図案の大切さを説きに訪れるなど国内向けに今でも轆轤を回しています。当初は登り窯で一週間かけて焼成していましたが現在では電気窯、ガス釜が主流になっています。

 

写真はかつて使用されていた千山窯の登り窯です。

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砥部焼きの作り方

陶石を発掘したら水車で陶石を砕きます。土作りが終われば轆轤で形をつくり乾燥させます。その後、低火度で一度素焼きをした後に下絵付けをするなどして釉薬を掛けます。この施釉の仕方と本焼きの温度で色合いが決まります。焼成方法には完全燃焼の酸化焼成と不完全燃焼の還元焼成があります。赤絵や色絵を施す上絵付けをする場合はもう一度低温で火を入れて完成です。

 

素焼きの状態から下絵付けと施釉をした砥部焼の比較です。

 

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砥部焼に触れるとその重さに強度面の安心感をまず第一に感じる事ができます。それでいて磁器の繊細さが加わることで用と美を兼ね備えた陶磁器であります。私の釉掛けの好みはなんといっても青磁であり青白磁であります。特に青磁はその昔、中国の皇帝の為に作られた特別なやきものです。今回は青磁の角瓶と茶碗を頂きました。「飯は器で食わせろ」とはこのこと。この茶碗で食べる白米は最高に美味しい😊

 

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