■寅さんぽ 諏訪を歩く


諏訪湖

ワカサギ釣りの名所である諏訪湖にはとこで釣り名人の佐々木と行ってきました。近年では温暖化の影響で氷が貼りませんが、2月には湖に氷が貼る事もしばしばあるとか。ワカサギは2人で40匹ほど釣れました!

f:id:a_torajiro:20201216224644j:image f:id:a_torajiro:20201216225007j:image


冬期に諏訪湖の湖面が全面氷結し、氷の厚さが一定に達すると、昼間の気温上昇で氷がゆるみ、気温が下降する夜間に氷が成長するため膨張し、湖面の面積では足りなくなるので、大音響とともに湖面上に氷の亀裂が走りせりあがります。この自然現象を御神渡りと呼び、伝説では上社の男神が下社の女神のもとへ訪れに行った跡だといいます。

 

諏訪湖片倉財閥

f:id:a_torajiro:20201216225012j:image

ワカサギ釣りで身体が冷えた後は、諏訪湖畔に面する異様な洋館である片倉館という温泉で身体を温めます。

片倉財閥の代表者で片倉製糸紡績株式会社社長の二代片倉兼太郎が、創業50周年を記念して建てたものです。彼は欧米の視察旅行を行った際に、先進諸国では文化福祉施設が充実していることに感銘を受け、帰国後、諏訪に文化福祉施設を作りたいと切望。片倉同族の支援を受け、基金80万円で、片倉財閥関係者のみならず、一般市民も利用できる温泉施設を建設し、「財団法人片倉館」を設立しました。この温泉施設はテルマエ・ロマエ2の撮影にも使用されています。

 

諏訪湖を一望できるテラス。まるで三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地で自衛隊を前に決起を促し、割腹自殺した現場を思い出させるような高さになります。

f:id:a_torajiro:20201216225030j:image

 

 


諏訪大社御柱祭

 

f:id:a_torajiro:20201216225320j:image f:id:a_torajiro:20201216225314j:imagef:id:a_torajiro:20201216225307j:image


長野県諏訪地方で行われる御柱祭では山中から御柱として樅(もみ)の大木を16本(上社本宮・前宮、下社秋宮・春宮各4本)切り出し、諏訪地方の各地区の氏子の分担で4箇所の各宮まで曳行し社殿の四方に建てて神木とする勇壮な大祭です。祭りは大きく4月の山出しと5月の山引きに分けられます。山出しでは男の度胸試しにふさわしい木落としの見せ場があります。御柱祭りは7年に一度と言われるが性格には数え年で7年毎なので、寅年と申年に行われます。大社での開催年を中心に、全国の諏訪神社や関連神社でも同様の祭(小宮祭)が実施されます。その中で代表的なものが塩尻市辰野町飛地付近にある小野神社(信濃国二之宮)の御柱祭諏訪大社御柱祭の翌年(卯と酉の年)に行われます。諏訪の御柱祭の歴史は古く平安初期の桓武天皇の時代からと伝えられています。

 


●縄文文明としての諏訪

諏訪大社の神である建御名方神諏訪明神)については様々な伝承が伝わっています。『古事記』によると出雲の大国主神高天原天照大御神の使者達に国譲りを承諾したとき、ただ一柱反対した建御名方神は使者であった建御雷神に挑むも敗れ、追われることとなりました。結局諏訪湖畔まで逃げてきて降伏し、この地から出ないことを誓って許される。一方、諏訪地域では建御名方神が『古事記』の描写とは逆で、諏訪に侵入して洩矢神をはじめ先住の神々を降伏させた立派な神とされている。考古学者の分析では、諏訪の土着神の洩矢神を縄文の狩猟文化として、建御名方神を弥生の農耕文化に表し、二つの文化が共に共生する諏訪の信仰を表しているという。