■ドイツの政治教育を問う

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●なぜドイツなのか

 

社会的争点から考える政治教育 近藤孝弘『ドイツの政治教育』岩波書店、2005

現実の政治を理解し、批判し、参加する能力を市民が身につけることは民主主義社会の 形成には欠かすことのできない基礎であり、そのために市民は教育によって全国民が一律 に政治教育を受けることが必要不可欠である。戦後の日本は日本国憲法のもとで近代的な 民主主義国家になった。民主主義とはその制度のフレーム枠を整えるだけでは機能せず、 それを正しく運用する国民があってこそ機能する。教育基本法には政治教育に関して次の ように記されている。第 8 条(政治教育)良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育 上これを尊重しなければならない。2法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこ れに反対するための政治教育その他政治活動をしてはならない。第一項が示すように、政 治教育は尊重されなければならない。しかし、戦後日本では冷戦下の保革対立の中で第二 項が拡大解釈され、現実の政治問題を意識的に扱う政治教育は学校から排除されていくこ とになった。よって日本の政治教育は社会の対立を子ども達の目から隠し、当たり障りの ない中立的な意見を教師が押し付けるという無味乾燥な形に終始することとなった。民主 主義とは社会のあらゆる対立を議論を重ねることで合意形成をはかる仕組みである。対立 を覆い隠す日本の政治教育の姿勢は社会の合意形成を図る能力を育て、担おうとする民主 主義の基礎を放棄するに等しい。日本の民主主義の将来に対する危機感を感じずにはいら れない。代議制民主主義の根幹をなす選挙での投票率は低下を続け、特に若年層の投票率 は極めて低い。直近の国政選である19年参院選では 10〜20 代の投票率は 30%台にとど まっている。一方で、日本と同じく第二次世界大戦で敗戦国となったドイツでは国政選挙 の投票率において、日本はもちろん英国や米国を大きく上回っているほか、民主主義の帰 結として現れたナチズムへの反省から健全な民主主義への意識の高さは世界から高い評価 を得ている。ドイツにおいてはナチズムの反省を起点として、民主主義の発展のために相 応する政治教育が不可欠と考えられてきた。近年、右翼急進主義政党が躍進しているドイ ツであるが日本がドイツの政治教育から学ぶことは多いと考える。

●ドイツの政治教育史

ドイツの政治教育は終戦直後はナチズムへの反省を主眼としていたが、連合軍の占領政 策のもとで、必ずしも自律的ではなかった。また、49年の東西ドイツ分裂とともに西ド イツでは反共産主義の立場から民主主義への理解がより一層重視された。それと同時にナ チズムへの反省は隅に追いやられてしまった。ようやく 60 年代後半に入りナチズムの克服への取り組みが本格的に開始され、今日のドイツの政治教育の形が整えられていくことになる。

ナチス統治下のドイツの政治教育は民族共同体、人種主義、知性の否定と感情の優位の3つの教育思想を核としている。既存の体制への批判的な意識を呼び起こしかねない知的な教育よりも、権力への従順の基礎となる道徳あるいは宗教心を重視する姿勢が常に存在していた。このようなナチズムのもとでの批判的精神の介入を許さない全体主義的な教育方針を改め、戦後のドイツでは現実の政治に対して具体的な対立に着目することで、生徒に政治的意見を形作らせることが目指された。一方で政治教育においてコンフリクトを絶対化することで社会的なコンセンサス、寛容や妥協といった価値を軽視しているという批判もあがった。戦後初期のドイツの政治教育では大きく以下の目標を示した。

 

 ・政治状況に対して可能な限り客観的な情報を提供すること。

 ・政治的な問題意識、判断能力、問題に主体的に関わる姿勢を育むこと。

 ・自由な民主主義の基本的な価値を尊重すること。

 

ドイツの戦後政治教育は民主主義という政治形態が、単に国民が政治権力を所有し、 行使する状態として考えられているのではないことを意味している。個々の決定が民主的 であるか否かは、そこに至る手続きの正当性によってのみ判断されるのではなく、その内 容も問わなければならない。民主主義は、主権者である国民一人ひとりに対して自らの意 思を批判的に検討した上で行動することを要求するのであり、国民がこの責任を理解しな いとき、国民は民主的な形式を経由して非民主主義者の手に落ちることになるという、その脆弱さへの不安をそこに見ることができる。

 ●ドイツにおける政治教育への取り組み

 

ドイツの政治教育が日本と比較して特異なところは政治教育センターという政治教育 を専門に進める機関があることだ。政治教育センターでは、自ら青少年や聖人に対する社 会教育を行う他、公的な学校における政治教育のための教材や資料を作成し提供するなど の活動をしている。政治教育センターの学校教育との直接的な結びつきの具体的な活動と してジュニア選挙が挙げられる。18歳になるまで選挙から遠ざけておいて、「有権者に なった途端に投票にいきましょう」では投票率が上がるはずがない。大切なのは選挙権を 手にする前から政治と選挙への関心を育むことである。ジュニア選挙の概要は以下の通りである。

 


 1 民主主義への理解を促進する授業を行う

 2 各社会的争点のテーマについて話しあう

 3 実際の政党名をつかって模擬投票をする

 4 投票は可能な限り実際の選挙と同じような厳格に実施する

 

ここで注意するべきことは単に模擬投票が目的なのではなく、あくまでも投票は学習の 動機付けであって政治教育の核をなすのはそれに至るまでの授業である。これはただ投票 所に赴くだけでは民主主義への責任を果たしていることにはならず、民主主義の発展の為 には市民による政治的能力の獲得が不可欠であるとの認識である。民主主義は市民の参加 という手続きないしは形式によってのみ評価されるのではなく、その意思決定の質、内容 が問われるのである。2で扱うテーマには失業問題からフェミニズムの視点まで様々であ る。ここで留意すべき点は模擬投票までの学習計画は約8時間が限度であり、それより授 業時数を伸ばすと子ども達の興味・関心は減退するという。このような政治的な争点を学 ぶ学習と模擬投票が連結する政治教育の姿をドイツの教室からのぞき見ることができる。 もちろん政治教育は特定の価値観を押し付ける教化であってはならない。子ども達が議論 するテーマに関する情報はできる限りフェアに提示する、また既存のメディアから子ども 達が自ら情報を獲得することが求められる。ドイツの政治教育ではマスメディアが政治を 商品化することに留意したメディア教育にも留意している。

 

●日本の主権者教育に必要な視点はなにか

 前文でも触れたように日本の政治教育はこれまで社会的な争点を扱うことを避けてきた。日本でもドイツのジュニア選挙の取り組みと同様に選挙管理委員会の協力のもと、投票箱を体育館に設置し、模擬投票を行なっている実践が数多く存在する。しかし、投票の仕方を体験して理解することは必要であるが、それだけでは十分ではない。政治の中身についての理解がなければいくら投票の仕方を学んだところで投票所に足を運ぶことはないであろう。子ども達にとって政治という抽象的なものを身近に感じるモノはテレビに映し出された政治を扱うニュースではないか。子ども達が目にする社会的な争点に対して教室で考えるという行為が政治教育には必要である。近年議論されている消費税の問題を例にとれば、消費税の税率をあげるべきか、下げるべきかの議論を通して財政についての理解を深めることができる。このような社会的な議論をドイツの政治教育では扱っている。

 もう1つ重要な視点は議会制民主主義の主要なアクターである政党の扱いである。日本の教育現場では政党名をだすことを極度に避ける傾向がある。実際に日本の学校で行われる模擬投票の授業では、架空の政党をつくり各政党の政策を吟味して投票するというやり方がある。一方で、ドイツのジュニア選挙では、実際の政党と政策をもとに授業を行なっ ている。模擬投票では子ども達の投票行動から支持政党の分布がわかるのである。教室で は「僕はシュレーダーを支持する」「僕はシュレーダーのあの政策は支持しない」などの 発言が飛び出すという。議院内閣制の主要な政治アクターである政党を語らずして子ども 達が政治に関心を持つだろうか。せめて各政党の政策に目を通すことが必要ではないだろ うか。社会的争点と政党の方向性を有機的に結びつけることが政治的判断能力の構築には 不可欠であると考える。

 このようなドイツと日本の政治教育の違いは各国の政治意識の土壌や社会の歴史認識によるところが大きく、教育行政および学校現場のみで解決できる問題ではない。しかし、現在の社会科の授業における社会問題を扱う際に、中立的な視点を教師が押し付けるのではなく、その社会的事象に対する多面的な見方を示し、子ども達が正解のない問題を考える前提が必要である。また、時事問題からリアルタイムの問題について子ども達に意見を求めることで政治に対する関心を高め、自らの認識とは異なる意見に触れることができる。また、政治的中立性に最も配慮すべき政党に関しては、すべてのテーマについて授業で取り上げることは時間的制約から不可能であるので、ある特定のテーマを取り上げることで各政党の政策に触れることができるのではないか。消費税をテーマにならば、消費税に対して各政党はどのような政策およびその政策の背景となる考え方があるのかを探求す

る。ドイツの政治教育の特徴である現実の政治的争点を素材としながら具体的な政治的決断の内容そのものを問うことを通して批判的な判断能力を養う視点を日本の政治教育は取り入れなければならない。民主主義は制度だけでは機能し得ない。同じファシズムのもとで敗戦を経験したドイツと日本は二度と破滅への道を歩まない為にも成熟した民主社会への課題に取り組まなくてはならない。