■憲法と教育と民主主義

今日は憲法記念日です。戦後の日本の歩みを振り返り、我が国の憲法に敬意を示したいと思います。日本人として私は日本国憲法を誇りに思うと同時に、後世にも我が国の憲法の理念を守り育てて欲しいと願っています。

 

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●戦後の「昭和という時代」

 

日本の民主主義は戦後に始まる。

 

一面焼け野原になった小さな国が、国家のかたちを一から作り変えようとしている。

 

人類の歴史を見ても、太平洋戦争直後の日本ほど悲惨な国はなかったであろう。国民の食糧供給は追いつかず、都市は焼かれ、広島と長崎においては原子力爆弾が落ちた。

 

太平洋戦争に敗れて、日本人達は初めて近代的な「国家」というものをもった。

誰もが「国民」になった。不慣れながら国民になった日本人達は日本史上、最初の体験者として新たな国家の在りように興奮した。この痛々しいばかりの平和への想いと人権感覚がなければこの段階の歴史はわからない。社会のどういう階層の、どういう家の子でも、ある一定の根気と能力さえあれば一国の総理大臣にもなりえた。この時代の明るさはそれまでの国家主義的で、重く暗い家父長制的国家体制の常識を否定して、自らの手で国のかたちを作ろうとするところからきている。

 

今から思えば実に滑稽なことに、西と東に分かれた冷戦構造が支配する世界にあって軍隊を持たないこの国家の連中が、世界に類を見ない平和憲法を実現しようとした。一国の安全保障として成り立つはずがない。が、ともかくも平和国家を作り上げようというのは、もともと戦後、新生日本の大目的であったし、戦後の日本国民の少年のような希望であった。

 

 

 上記は私の中の「昭和史」を司馬遼太郎さんの「明治」への憧景と重ね合わせて述べたものである。「昭和」は良かったと言う。太平洋戦争後、冷戦構造と経済復興の40年余りは文化史的にも精神史の上からでも長い日本史の中で実に特異である。これほど楽天的な時代はない。 むろん見方によってはそうではない。庶民は地価の高騰に喘ぎ、国権はあくまで重く、民権はあくまで軽く、三池で労働者は敗れ、60年安保があり、公害問題がありで、そのような被害意識の中から見ればこれほど暗い時代はないであろう。

しかし、被害意識のみで見ることが庶民の歴史ではない。昭和という時代に日本人は理想的な国家像を確かに示した。戦後の日本再建の中で育まれてきた日本人の価値意識、憲法の理念がここに来て大きく崩れ去ろうとしているところに私は問題提起をしたい。そう簡単に「戦後保守」の血脈を止めるわけにはいかない。

 

 

 

●戦後の大きな価値体系としての憲法

 


 戦後の日本国民は革命的ともいわれる日本国憲法のもとで主権者という存在になった。国民主権である。それまでの大日本帝国憲法の下での日本国民は天皇の「臣民」であったことを考えると戦後日本の歴史を「戦争からの復興」と捉えるよりも戦後を日本の近代国家としての「スタート地点」と位置づけたほうが良いようにも思える。日本の民主主義の基礎は明治より自由民権運動に始まり、先人達のとてつもない努力の積み重ねの上に花開いたと見ることもできる。しかし、庶民が主権者としての意識を自覚的に持つようになったのは戦後の新生日本と言って良いだろう。日本の民主主義がヨーロッパ近代国家と比べて特異なところはその成立過程にあると言える。フランス革命のような市民の手によって(ブルジョア革命であったが)獲得した民主主義ではなく、日本の場合は占領政策の中で国民の目の前に突如として現れた憲法及び民主主義であったと言えるだろう。

しかし、戦後の日本国憲法に裏打ちされた価値体系が占領下に押し付けられたものであるという議論にはならない。なぜならば日本国憲法の下での民主主義、平和主義、人権の保障は日本国民が切に願望していたものであったからである。これは憲法制定後のいわゆる「逆コース」と呼ばれる戦前への揺れ戻しに対する抵抗と、その後の日本国民の憲法に対する信頼と憲法擁護の世論が改憲勢力の前に大きく立ちはだかってきた事から証明することができる。よって日本国民が憲法を受動的に受け入れたという簡単な話ではない。憲法を実現させる国民の行為があって、初めてその崇高な理念が実現される。日本が戦後70年にわたり世界に類のない平和主義を実現してきた背景には、それを守ろうとする人々の切実な努力と運動による貢献があった。それは一方で行為の主体である私たちの行動次第で憲法が一晩にしてただの紙くずにもなりえるということだ。私たちが当たり前として手にしている憲法は明治の民権運動に倒れた者や、平和な暮らしを切実なまでに願って戦場で死んでいった日本国民の重すぎる犠牲と強い思いの上にあるということを肝に銘じておかなければならない。もう一つ、戦後、多くの犠牲の上にできた憲法の理念を守り続けてきた人々に私は敬意を示したい。

 

●「戦争体験」の喪失と憲法の危機

 

 民主主義、平和主義、基本的な人権の尊重という戦後の大きな価値体系が00年代を一つの分岐点として危機を迎えている。90年代初頭の冷戦構造の崩壊は日本の安全保障体制の脆弱性を浮き彫りにした。また、政治改革による新たな選挙制度のもとでの流動的な政治体制は自民党社会党による戦後保守政治が担ってきた平和主義への歯止めを失った。地域社会の衰退と労働組合の組織率の低下は投票率の低下に拍車をかけた。今では民主主義の基本である選挙での投票率は国政においても6割に満たない事態を招いている。人権については、先人達の地道な努力により戦後の日本の根強い差別意識から、人権教育などの取り組みによって差別に対して厳しい目が向けられるようになってきた。一方で、インターネットの普及と情報化社会の出現は、ヘイト・スピーチによる社会的マイノリティの人権を侵害したり、近隣諸国への増悪をあおる書物が刊行される現象を生んでいる。偏狭なナショナリズムという幽霊が日本社会をはい回っている。

 

戦後、日本人が獲得した憲法の理念は情報化社会やグローバル化社会、個人主義社会の進展の中で大きな岐路に立たされている。特に戦後70年という時の流れで「戦争体験」の喪失という戦後価値体系を支えてきた大きな日本人の記憶が失われかけている。「戦争体験」という日本人の苦い記憶は平和主義だけでなく民主主義の運用や人権問題に至っても実に繊細に、慎重な行為を要求してきた。この「戦争体験」における戦後保守政治家の慎重なまでの政治感覚が現在の自民党の保守政治家には欠けていると思えてならない。戦後日本社会は、いわば特権階級から庶民までの日本人全体に共有されていた「戦争体験」という日本人の精神意識を日本人的思考様式として成立させることにある程度成功したと言える。日本の学校教育における平和教育の貢献は計り知れない。ともかくも2020年代のうちに戦争体験者はほぼ絶滅し、日本人の「戦争体験」に裏打ちされた思考様式は弱まっていく。これをどのように継承し、日本人の儒教精神に並ぶ日本的思考様式として構造化していくかが問われていると考える。

 

 社会が大きく変化していく中で、生まれて70年余りの未熟な日本の民主主義の基盤である主権者をどのように育成していくのか。戦後の民主主義を守り育ててきた先人の思いを受け止めた上で、これからの新しい時代のかたちに対応しながら日本の在り方を模索していきたい。

 

 

●民主主義とは何か

 

 ここでは民主主義の定義を「市民自ら考え、行動し統治すること」とする。民主主義は多数決の原理によって政治を前に進めていくことを前提にしている。しかし、ここで留意することは多数派が必ずしも合理的判断を行うことを意味しないということだ。その為、政治という行為によって社会の多種多様な意見を熟議を重ねて慎重に決断を下す手続きが求められる。社会的マイノリティや多様性を認めるリベラルデモクラシーが成立しない民主主義社会の形態は、再びドイツのナチス政権を生み出す危険性を持っているということだ。制度に絶対はないため、民主制においてもその運用を誤れば独裁政権ポピュリズムを生み出す制度になりうる。個人の自由を前提にした民主主義は制度のフレームワークだけ整えて、放置しておけば成立するわけではない。民主主義の制度の理念を理解し、維持に努める人間の養成が不可欠である。学校教育における主権者の育成は民主制国家の維持に大変重要な役割を担っていると言える。そして、選挙権が全ての日本国民に与えられている普通選挙制の下では一部のエリート教育、高等教育機関だけの主権者教育ではなく、日本の公教育において日本国民全体に施されなくてはならない。

 

 

●主権者教育の現状における危機意識

 

 現在の日本を取り巻く政治状況は深刻度を増している。地球温暖化問題や財政規律の崩壊、少子高齢化による社会保障の膨張など、これからの日本社会の問題は山積している。一方で日本の若者の投票率は低下を続けている。18歳選挙権の導入と一大キャンペーンを打った16年参院選では投票率は伸びたが、その後、再び下降線を辿っている。また、近年の世論調査から日本の代議制民主主義への不信感が増加していることが明らかになった。このような国政選挙の投票率から見ても示される政治的無関心の問題は民主主義の根底を揺るがす危機的な状況にあると言える。

 現在の日本の政治的無関心の要因はどこにあるのか。その一つに70年安保闘争の記憶があることは間違いない。かつて60年代末の日本では若者による政治闘争の季節が存在した。60年安保と比較してもラディカルでセクト的な側面をもっていた70年安保闘争の主体がその後の社会運動の退潮を招いた責任は大きいと考える。また、日本の教育現場では革新系の日教組と政権や保守勢力の激しい対立関係が日本の政治教育に政治的な争点を持ち込まないことで中立性を担保しようとし、現実から遊離した無味乾燥な知識ばかりが提供される公民教育が行われることになった。この他にも組合や団体の組織率の低下に見る連帯の喪失が社会での政治参加を狭めたことなども政治的無関心の要因に挙げられる。このような日本国民の政治意識における歴史的背景を理解した上で、日本の民主主義機能が健全かつ持続可能なものとしていかなければならない。その為には日本の主権者教育の見直しが必要であると考える。

 

●ドイツの政治・公民教育から学ぶもの

 

 日本と同様に第二次世界大戦で敗戦を迎えたドイツは民主的手続きによるナチス政権の誕生への深い反省から戦後、公民・政治教育が始まった。ドイツの政治・公民教育では社会は根本的に対立を含むものであるという認識に立ち、その対立関係を調整する手段として民主主義国家が存在することを前提としている。ドイツの政治・公民教育における主権者の資質として身につけるべき政治的リテラシを以下の3つに分類している。

 

1 政治的判断能力

→正しい情報(事実についての判断)を用いて政治的決断をする能力。(価値の判断)

2 政治的行為能力

→政治決断における具体的な行動認識(投票、政治活動、デモ、発信など)

*民主主義、平和主義、基本的人権の枠組みの中で行う

③方法的能力

→基本的な政治的リテラシの獲得

 

 次に方法論としてドイツと日本の政治教育の違いを見ていく。日本ではおおよそ政治的中立性に配慮することの意味として異なる対局の意見に対して中間部分を提示することとして解釈される場合が多い。また、日本の公民学習は憲法学習を中心として進められるため政治制度としての枠組みへの理解にとどまり政治の中身を十分に扱えないという問題がある。例えば、選挙制度の学習では制度の定数や任期について言及するが、そこに実際のプレーヤーとしての政党や代議士の姿が見えない、ニュースで目にする子どもの身近な材料を十分に使えないという問題がある。

一方で、ドイツの政治教育では相対する具体的な事例を提示し、相互に対立する社会科学的な解釈の枠組みを適用して理解させる。このことによって一定の体系化された社会認識に裏付けされた政治的姿勢を生徒に自覚させる。例えば消費税に賛成、反対の両方の立場の主義主張を学び、自らの考えを述べさせる。社会的対立を隠すのではなく相対立する意見を尊重して調整する努力をする。

 政治教育において共通して常に留意しなければならないものが政治的中立性の問題である。教師による教育という権力的営みの危険性に常に自覚的に目を向けなくてはならない。しかし、政治的中立性という言葉に対する見方として注意すべきことは、教師という一市民としての個人の内面性における政治的思想の自由を奪うことはできないということである。

 

反戦と非差別の市民性教育

 

 21世紀社会において①情報化社会、②グローバル化社会、③個人主義社会の進展はあらゆる側面から戦後日本の価値体系への挑戦を始めている。ネット上でのヘイト・スピーチや反グローバリズムとしての朝鮮、中国への差別的言動などを目にする機会が増えた。欧米の諸先進国が右派ポピュリズムの台頭を招いている中で、比較的日本の政治は安定してきたが、日本でも左派ポピュリズムや、ある特定層への攻撃的な政治手法が目立つようになってきた。19年参院選でれいわ新選組やN国党がある一定の支持を集めた背景には既存の政党への不満がある。社会が大きく変化していく中で日本国憲法の原則でもある反戦と非差別の精神は健全な民主主義を支える上でも不変性を有している価値観である。このような価値体系は規制によって維持されるべきものではない。ヘイト・スピーチの問題を例にとれば、法律で基本的人権の保護を優先すれば言論の自由を侵害することにもなる。ヘイト・スピーチと昨年の愛知トリエンナーレの境界線も定かではなくなる。戦後日本が獲得した憲法に裏打ちされた価値体系を守り育てていくためには、法制上の規制に頼るのではなく教育の力が試されているように思う。民主的で反戦と非差別の精神を尊重する社会をつくる姿勢は、私たちが生活する小さな社会の中で実現していかなければならない。一つひとつの小さな社会での積み重ねが日本の憲法及び幸福な社会の実現に繋がっていくはずである。憲法の理念は主権者たる国民の憲法を生かそうとする行為によって始めて実現される。

 


渥美寅次郎