■ 汗をかかない民主主義

●汗をかかない民主主義

 

 近年の世論調査では、日本人の民主主義に対する信頼度は諸先進国と比較しても高く、日本国民に民主主義という理念は相当根強く浸透していることがわかる。一方で、日本国民が不信感を持っているものとして①政治のアクターとしての政党及び代議士、②制度としての現行選挙制度、③国会の役割など代議制民主主義があげられる。この代議制民主主義への不信感が若者の政治的無関心投票率の低下の一因であると考えられる。現在、代議制民主主義への不信感が民主主義制度の根幹を揺るがしかねない瀬戸際にきている状況にあるのではないかと思う。

 


●政党及び代議士

 

まず、政治不信の要因である①政党及び代議士について着目していきたい。まず、代議制民主主義における政治システムは主として政党政治であるという前提に立たなくてはならない。各政党が主権者の要求を吸い取って政策に生かしていくというのが国民と政治をつなぐ役割を果たしてきた。政治不信の背景として、主権者の様々な政治参加の機会が失われたことが国民と政党の距離を大きく乖離させている、すなわち主権者が「自分たちの担いだ候補者だ」という実感を持てなくなっているのではないか。国民政党としての意識が政党側にもないし、国民側にもないという現状がある。そのことが代議制民主主義への不信感を生んでいる背景にある。これまでは政党が主権者と政治を繋ぐ役割を果たしており、自民党が財界や地域の名士を中心とした地域社会に根をはった保守層、中小企業や農家を中心とする自営業者の声を代弁していた。一方の社会党は総評を代表とする労働組合を中心とする支持基盤をもっていた。無党派層の増大は今に始まったことではないが、これまで機能していた地域社会の様々なネットワークや労働組合という政党を支えていた組織が維持できなくなってきている現状にある。個人主義社会の進展による地域コミュニティの衰退と労組の組織率の低迷という組織票の減少問題は保革両陣営にとって同様の現象であるといえる。支持基盤がぜい弱になってくると相対的に公明党共産党の影響力が増大することになる。今の公明党を抱き込んだ自公政権と労働者を組織できずに風頼みの野党勢力という現状が現在の「一強多弱」の政治状況を生み出しているともいえるのではないか。現在の政党は支持基盤という政党の足腰が弱くなってしまった。そうすると無党派層に迎合する形で、政党のほうも長期的な国家100年の計での社会保障財政再建に取り組めない状況になってくる。風頼みの選挙ではポピュリズムを生み出す危険性も高くなる。代議制民主主義は政党政治という形で実際に運用されていることを考えれば、国民が政党に対して正確な知識を持つことは民主主義を機能させる上で必要不可欠なものと考える。しかし、学校教育においてこれまで政治的中立性の担保という問題によって実に党派的な性格を持つ政党という腫物に触れることを避けてきた経緯がある。その結果が日本国民の政治意識における政党という存在を見落とすことに繋がり、政治参加が進まなかった一つの要因であると考える。

 

●民主主義における選挙

 


 次に②選挙制度への不信が代議制民主主義への不信感を生んでいる問題に言及する。現在の選挙制度は94年の選挙制度改革による小選挙区比例代表並立制を使用しており、それまでの55年体制期の中選挙区制による選挙制度と比較すれば、国民による政権選択が可能な選挙制度となったと言える。しかし、弊害は今日あまた出ており、社会的マイノリティへの配慮や正確な民意を反映できていない選挙制度であることも確かである。私はすべての条件をクリアする選挙制度というものは存在しないわけであって現在の選挙制度を変えることには否定的である。問題は野党の分裂による「自民一強」の政治状況にあると言える。政権交代可能な選挙制度の下で、野党の分裂が小選挙区制度によって自民一強をより強固にしているために国民感情として「選挙に行っても政治は変わらない」という言質を生み出してしまうのだろうと考える。もともと、現行の選挙制度は二大政党制を前提に設計されたものであり野党の分裂は与党を過大に利する。ここで重要なのは野党の再建としての連立理論ということになってくるが、ここでの一応の結論として選挙制度における政治不信というよりかは現在の「一強他弱」の政治状況に選挙不信及び政治不信の原因があると考える。       

一方で、選挙というのは政治参加の基本原則であり、主権者が政権選択として行う直接的な唯一の権利行使が選挙である。民主主義とりわけ代議制民主主義において主権者による政治参加の仕方は多種多様である。特にネット社会の登場はその在り方を大きく変化させている。しかし、代議制民主主義における誰でも参加できる政治的行為の基本原則は選挙(投票)である。つまり、デモやインターネットによる書き込みというものも非常に重要な政治参加の一つの手段であるということは否定をないが、選挙という権利を行使しないで手段を目的化している行為には違和感を感じさえする。社会は根本的に対立関係を含むものである以上、政治のアクターである政党は自らの支援者の方向に目を向けることは必然である。政党及び代議士は自らの為に汗を流し選挙運動を支えてくれた支援者や選挙で自らに投票してくれた個人及び団体に対するある一定の拘束に縛られることになる。よって政党及び代議士は政策過程において、世論の動向に注視しながらも自らの支援者による要望から完全に自由になることはできない。よって政党が取るべき行動はネット上で政権への批判を単に述べて選挙という権利を行使しない主権者よりも、苦しい時も汗を流し自らを支えてくれる支持者、団体へと利益を図る。これまで労組や各種圧力団体として組織票という数の力による政治へのアクセスが個人の権利を守ってきた側面があった。しかし、個人主義の進展による若者の労組や各種団体への不参加は「汗をかかない民主主義」を一層強めている。

よって今日的課題として、様々な政治参加の行為が世論を大きく変化させる非常に重要な手段であると同時に、権力に対して直接、主権者の権利を行使する唯一の機会である選挙の重要性を認知させることが非常に重要になると考える。無論、選挙における投票は主権者の権利であって義務ではない為、投票を促進することが目的ではないわけであるが、直接的な政治参加の手段を知り理解する権利というものは国民に与えられるべきであると考える。政治的リテラシーにおける政治的判断能力の育成及び政治的行為能力の育成という側面も焦点をあてる必要がある。口だけ達者で行動の伴わない民主主義に一抹の不安を感じざる負えない昨今である。

 


●国会と国民

 

 最後に③国会の機能不全、もしくは役割が国民に見えないことが国会への不信感に繋がっていると考えられる。国権の最高機関であり、唯一の立法機関であるはずの国会が内閣に法案決定の事実上の主導権を奪われていること、相対的に官邸主導の流れが強くなったことに国会の存在感低下の原因があげられる。90年代の一連の政治改革を受けて小泉政権や第二次安倍政権の下では「政高党低」の政治状況が続いている。(現在の緊急事態情勢下では政党主導の側面も見せていることは興味深い)特に第二次安倍政権下では国政選挙7連勝の安倍総裁の前に自民党内でも異論がでないという危機的な状況を生み出している。国会及び政党に対して内閣の機能が膨張していると指摘もできるが、ここで議論したいことは国会議員が政策にどれだかアプローチできているのかという部分が見えないことが立法府としての国会の不信感になっていると考える。実際、問題なのは国会の委員会制度よりも与党の政策決定過程にあると考える。自民党政調会をみても国会議員は一国一城の主であるならば政権側の意向に合わせた政策提言をするのではなく、自民党の中でもっと国会議員が議論する必要がある。2015年の安全保障法制に関しても自民党内で政権側への抑制が働かなかったことに驚きを隠せない。本来、タカ派的政策に歯止めをかけなければならない宏池会は沈黙した。これまで多様性を内包してきた自民党であったが政治改革後の党執行部への権力集中は党内及び国会での「物言わぬ国会議員」を増加させた。

与党であっても野党であっても国会議員の自立性が政権へのチェック機能を果たし、国会と内閣の相互抑制が働くと考える。しかし、政治改革後に進められてきた官邸主導型政治と党執行部の権限強化は国会議員及び国会の姿を小さくしてきた。国会改革の議論が出てきた中で、官邸主導のありかたを含めた議論が必要だと考える。最後に根本問題として汗をかかない国会議員の増加が国民の政治不信の背景にあるのではないか。「選挙で勝つために必要な事はひとつだけ。選挙の定石はひたすら歩き有権者一人ひとりの手を力強く握ること。これが選挙の王道である」。田中角栄先生の言葉である。代議士は地方の声なき声を聞き取り、庶民と同じ目線で思いを汲み取り、国家のあり方を考える。それこそが国民と共に歩む民主主義の実現を可能にする。パフォーマンスやテレビ映りが良い代議士が困難な課題を全て解決できる政治を実現するとは限らない。私たちはポピュリズムに対して常に厳しい目で批判的に検証を続けることが必要なのである。国民、代議士の双方による「汗をかく民主主義」の実現こそ健全な社会を築く近道である。

 

 渥美寅次郎