■この国のかたち〜涅槃会
2月15日は、お釈迦様がお亡くなりになった日にちで「涅槃会」といいます。
(曹洞宗・富川山長安寺の涅槃図)
お悟りを開かれたお釈迦さまはその後、45年にもわたり、人びとに教えを説く旅を続けられました。その間、多くの人びとがお釈迦さまの教えに導かれ、お弟子や信者となっていきました。
その伝道の旅の最期の地となったのは、クシナガラという所でした。
いよいよ自分の死が近いことを察したお釈迦さまは、弟子たちにこう説かれました。
「私の亡きあとは、私ではなく自分自身をより所として、また私が伝えた教えを、闇を照らすともしびとして、歩んでゆきなさい」
お釈迦さまは個人崇拝の対象となることを否定され、弟子一人ひとりが確かに、自立して進むことを求めたのでした。
そして「もろもろの存在は変わりゆく。怠らず精進しなさい。」という最期の言葉を残し、静かに息をひきとったのでした。
お釈迦さまのご命日である涅槃会の日には、全国各地の寺院でお釈迦さまの最期の様子を描いた「涅槃図」をかけて、そのご遺徳をしのぶ法要が行われます。
■ 3.11 脱原発と小泉ロジックの限界
■3.11 脱原発と小泉ロジックの限界
東日本大震災で亡くなられた方に哀悼の意を表します。
●脱原発の文脈
原発問題に特に思い入れがあるわけではないが、小泉さんが言う所の「電力総連、原発推進の労組票は50万票もない。脱原発票を掘り起こせ」という議論は一理あるが、この10年間でまったく結果に結びついていない。
なぜ、原発廃止の議論が進まないのか。経団連は脱原発はおろか、原子力発電機の海外輸出に意欲的な日立の中西さんが会長であることからも基幹電源に頼る産業界の本音が垣間見える。
肝心の野党第一党の旧民主党勢力は最大の支持母体である連合の分裂が脱原発議論を後退させている。電力総連を中心とする原発推進派は国民民主、立憲民主の中でも現実路線と野党共闘の関係性の中で揺れ動いている。
産別で見ると前回の参院比例で組合員80万人もいて15万票しか取れない自治労と25万票取った電力総連の得票数を見ても連合をまとめた方が良い。(確か日教組は15万票を切っていた)2019参院選
政治の劣化(安倍一強)の一因を非自民勢力の分裂とするならば枝野さんは劇場型に頼るのではなくしっかり足場を固めてほしい。
労組の政治的リソースが減退傾向にあると言っても自民党の友好団体も同様の問題を抱えていて、昔を懐かしんで小選挙区制を批判するのは簡単だけど、その間に自民党は数段したたかに連立工作とか色々苦労してやってきた結果だと思う。
●非自民勢力は今流行りのSDGsの視点で「持続可能な集票機能」の確立が必要
そもそも政党にとって不動票頼みの政党は存続しうるのか。希望の党の失敗は火を見るよりも明らかで、一過性のもので持続可能ではない。苦しい時に支えてくれる票が必要。
自民党の集票組織で全特は例外として、建設関係初めその他でも20万票。産別もそのくらい取れる。
しかし、現実はもっと複雑で政党が一回別れてしまうと、選挙でなぜ立憲、国民を推すのか説明が求められる。安易な統一は難しい。別れた事で別れたドライブが組織内で働いてしまうのではないか。
■この国のかたち〜紀元節、天長節
世界で「建国記念日」を法律で定めて祝日とする国家は多いが、何をもって建国記念日とするかは、国によって異なる。日本では、建国の日が明確ではないため、日本神話を基に、建国を祝う日として「建国記念の日」が定められた。
2月11日は、日本神話の登場人物であり、古事記や日本書紀で初代天皇とされる神武天皇の即位日が、日本書紀に紀元前660年1月1日 (旧暦)とあり、その即位月日を明治に入り、グレゴリオ暦に換算した日付である。戦前は紀元節と呼ばれていたが、占領政策として天皇制の見直しにより一時廃止されたが、1966年に建国記念日として復活。
天皇誕生日は、1948年制定の国民の祝日に関する法律によれば、「天皇の誕生日を祝う。」ことを趣旨としている。
天皇誕生日は、慣例により日本の国家の日とされる。1948年までは、天長節と呼ばれていた(昭和天皇の誕生日が4月29日)。
天皇誕生日の日付は、1988年までは昭和天皇の誕生日である「4月29日」、1989年から2018年までは明仁様の誕生日である12月23日であった。今生天皇の天皇誕生日は2月23日。旧称は天長節。
■この国のかたち〜節分
■節分
本来は季節の分かれ目の意味であり、二十四節気の立春、立夏、立冬の前日をさす。その中でも、旧正月に近い立春の前日がもっとも重要だとされており、現在では立春の前日のみを節分と称する。
●豆まき
節分の夜には炒った大豆を一升瓶に入れて神棚に供えた後に「福は内、鬼は外」と唱えながら豆を撒く。豆まきをするのは年男や戸主であり、まず神棚から始め、次いで各部屋や出入り口に撒く。豆まきが終わると、年の豆といって、家族がそれぞれ自分の年齢の数の豆を食べた。浅草寺や成田山新勝寺などでは関取や芸能人などが豆を巻き毎年盛大に行われている。多摩地域では主な節分祭として高尾山薬王院、高幡不動、大国魂神社が有名である。
●追儺
追儺は宮中の年中行事の一つであった。鬼を払う役を方相氏といい、四つ目の面をつけて
矛と盾を持ち、大声を上げて大内裏を回り鬼を払う。しかし、方相氏が異様な面や服装の為に逆に鬼として追われる対象となった。鬼を追う追儺は寺院の修正会、修二会に取り込まれた。神社でも節分を行うところは多い。
●柊鰯
節分の夜に、鰯の頭を焼いたものを戸口に挿し、臭気で鬼を追い払う。多くは豆殻で焼いた鰯の頭を挿し、柊の葉をあしらったもので豆殻をつけることもある。鰯の臭気と柊の棘で鬼を追い払う。
■この国のかたち〜小正月
■小正月
1月15日を中心とする時期を小正月といい、この時期にどんど焼きや繭玉など様々な行事が行われる。いずれも農耕に関わる儀礼でこの時期に模擬的に農作業を行い、あるいは豊作の様子をつくることによって秋の実りを予祝するものといわれている。
●ドンド焼き
15日を中心に行われる小正月の火祭りでどんど焼きや左義長と呼ばれる。正月に各家で飾った松飾りや、前年のお札などを集めて焼く。
●繭玉
小さく切った餅や団子で繭の形を模したものを榎や柳などの枝に刺して飾り、農作物の豊かな実りを祈願する小正月の予祝行事の一つである。ところによっては赤、黄、緑色をつけたものもある。家の座敷の中央に一番大きな木を飾る。
●ナマハゲ
秋田県の男鹿半島(男鹿市)、および、その基部(山本郡三種町・潟上市)の一部において見られる伝統的な民俗行事。またはその行事を執り行う者の様相を指す。200年以上の歴史を有する。男鹿市などの調査によると、2012~2015年において市内148地区のうち約80地区でナマハゲ行事がある。男鹿のナマハゲとして、国の重要無形民俗文化財に指定されている。異形の仮面をつけ、藁などで作った衣装をまとった「なまはげ」が、家々を巡って厄払いをしたり、怠け者を諭したりする。
「なまはげ」は怠惰や不和などの悪事を諌め、災いを祓いにやってくる来訪神である。かつては小正月の行事だったが大晦日の行事となり、年の終わりに、大きな出刃包丁を持ち、鬼の面、ケラミノ、ハバキをまとって、なまはげに扮した村人が家々を訪れ「泣ぐ子(ゴ)は居ねがー」「悪い子(ゴ)は居ねがー」と奇声を発しながら練り歩き、家に入って怠け者や子供、初嫁を探して暴れる。家人は正装をして丁重にこれを出迎え、主人が今年1年の家族のしでかした日常の悪事を釈明するなどした後に酒などをふるまって、送り帰すとされている。
なまはげは伝統的民俗行事であるとともに、東北地方においては幼児に対する教育の手段として理解されている。親は幼児に対し予めなまはげによる強い恐怖体験を記憶させ、そのあと幼児に対し望ましくないとみなされる行為を行った場合、その恐怖体験が再現される可能性を言語的手段によって理解させる。一方で幼児期における恐怖体験は精神的な不安定状態を生み出し、恐怖体験による後遺症を残すこともあり、幼児期における教育的効果には疑問である。発達段階に則したナマハゲ文化の継承が必要であると考える。
●薮入り
藪入り(やぶいり)、薮入りとは、かつて商家などに住み込み奉公していた丁稚や女中など奉公人が実家へと帰ることのできた休日。奉公人にとっては親元に帰れるこの藪入りの日を心待ちにする。奉公に出した親も我が子の帰りを今かと待つ。落語でもお馴染みの「藪入り」は親子の情を感ずる大切な日なのである。
■この国のかたち〜成人式
■成人の日
成人の日は、昭和23年に作られた国民の祝日に関する法律で「1月15日は大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます日」と定められた。成人を祝う習俗は、各地でそれぞれ決まったやり方で行われている。しかし、それは必ずしも、現在のようにある一定の年齢を超えれば成人といった年齢の基準に基づくものだけではなく、古くは1日の仕事量で基準を満たせば一人前の男であるなどと年齢に関係なく成人として認めるものだった。成人を祝う儀礼は武士の元服式から来ており、成年式・成女式などと呼ばれていたが、近年では成人式として行政が式を取り行うようになってきている。我が家では成人の祝い酒の儀を行いました。